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深圳の陳会長に“拉致”され、200人の前で「北国の春」を歌った日

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旅の随筆
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1998年、広州駐在1年目のこと。深圳に販売拠点を持つ中国有数の自動車ガラス工場H社から、全国販売店会議への出席要請が突然来た。我社とは年間1億円の取引がある会社だ。断るわけにもいかず、顔出しだけの出席のつもりで翌日の日程に合わせて深圳駅前のシャングリラホテルに前泊した。
翌朝、約束より早くドアのチャイムが鳴る。開けると公安職員が制服で立っていた。たぶん部屋を間違えたのだろうと思ったが、「H社まで加藤先生を迎えに伺いました」とあいさつをする。外にはサイレンを鳴らすパトカーの先導付き送迎車が待機していた。ただならぬ雰囲気に動顛したが、有無を言わず従わざるを得なかった。バイクに乗った深圳テレビのカメラまで追尾してくる。完全に拉致だった。
会場に到着すると、そこには大きな全国販売店代表大会の看板と事前に何の説明も受けていなかった200名もの全国販売店の代表者が並ぶ、そして真っ赤なネクタイに紺スーツで正装した陳会長が満面の笑みで立っていた。彼は福建省出身の客家、会社幹部も同じ陳姓の血族で固めた一族経営で大成功している。公安、メディア、ホテルまでの手回しは実に周到だった。面子を重んじる中国では、大会に箔を付けるため、日本のM社の代表を賓客として呼びたかったのだ。完全に手駒の一つにされたと気づいたが、既に後の祭りだった。
雛壇に座らされ、会社名と名前を呼ばれ、M社の代表然として立ち上がって、盛大な拍手に応えて、こちらも頭を下げて応える。ふと見ると販売店代表の並ぶ席の最前列に座っている、うちの事務所の中国人スタッフと目が合った。陳会長と今回の”たくらみ”を仕組んだ張本人だ。「一体どうなってんだ?」と目で合図したが、彼はニヤ二ヤ笑うだけだ。
会議の後、会食会場で事件は起きた。会食の途中、会長から何の前触れもなく、いきなり「それでは日本の代表に歌を歌ってもらいましょう」とマイクを突き付けられたのだ。会場にはカラオケも伴奏も歌詞カードも何もない。
救われた歌は「北国の春」だった。この歌は「北国之春」として中国でも大流行し、誰もが知っていた。勇気を出して200人の前でアカペラで歌った。
「好聴!好聴!」と大絶賛。まな板の上の鯉とは、まさにこのことだった。
まったくわけのわからない状況の中、何が起こるか分からない、翻弄されっぱなしのとんでもない一日だった。今、思い返すとこれこそ中国駐在の“醍醐味”だった。

「北国の春」には後日談がある。広州駐在を終え日本に戻ってから、暫らく中国現地生産プロジェクトを本店でフォローした。中国から7-8名のミッションが2、3週間の予定で来日。日本の工場視察に同行し訪問した。最後に京都工場の視察を終えて、JR京都駅のホームで、帰りの新幹線の到着を待っていると、突然、お寺の僧衣を着た品格のあるお坊さんが近寄ってきた。当時、1990年代半ばはまだまだ外国人(中国人を含め)は、現在ほど多くはなくたいへん珍しかったのだと思う。そのお坊さんは一言、二言大変流暢な北京語でミッションに話し掛けてきた。そして、いきなり北京語で「北国の春」をホームで独唱された。しかも読経で鍛えられた喉を存分に生かし、ハリのある声が新幹線ホーム中に響き渡るという独演会、ミッションメンバーもさすがに度肝を抜かれたようだった。歌い終わると拍手喝采、興奮冷めやらぬうちに新幹線が到着するという飛んだハプニングに全員大喜びだった。別れ際に聞いてみると「清水寺」の僧侶であると名乗られた。仏教の勉強で中国に渡り、仏教と「北国の春」を覚えて帰ってこられた、実に人間味溢れるとても大らかな僧侶で、日本に、京都に熱烈歓迎だと何度も繰り返し述べていた。

 

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