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旅の随筆

北京大学留学編(1)芍園 1987-88年 – 食堂、授業、そして黄砂の北京

1987年、北京大学芍園にいた。食堂では料理人が客より先に食事をし、自転車はブレーキが効かず、シャワーはお湯が出ない。不便が当たり前の日々だった。だが、埃っぽい北京で観た京劇の極彩色は、今も目に焼き付いている。私の北京大学留学記。
旅の随筆

深圳の陳会長に“拉致”され、200人の前で「北国の春」を歌った日

1998年、広州駐在1年目のこと。深圳に販売拠点を持つ中国有数の自動車ガラス工場H社から、全国販売店会議への出席要請が突然来た。日本とは年間1億円の取引がある会社だ。断るわけにもいかず、顔出しのつもりで翌日の日程に合わせて深圳駅前のシャング...
旅の随筆

女人街の喧騒からドア一枚の向こうへ – 旺角の上のアパートで頂いた忘れられない家庭料理

香港の「女人街」と聞いて露天商が所狭しと店を並べ、香港一活気に溢れた旺角のナイトマーケットを思い出す方は香港通の方だと思います。人はぶつかり、大声が飛び交い、一秒も止まらない街。衣類やアクセサリー、Tシャツ、偽物ブランド等を売る露店が1km...
旅の随筆

香港島の高級マンションでハンバーグと本気喧嘩 – 同期駐在員宅のわんぱく三兄弟訪問記

1996年のある日、日本人駐在員の香港の家庭に招かれた時の印象です。Mくんは会社入社同期でもあり、新人時代入寮した社員寮も同じでした。寮では帰宅時間もまちまちで、朝食時間で一緒になるものの、慌ただしい通勤時間帯ではゆっくり世間話も出来ません...
旅の随筆

サーモンのために車で1時間。サーモンに負けた夜 湖南省彬州(びんしゅう)

2015年。中国湖南省彬州の販社候補地を視察した帰り道でした。彬州という町で、ディーラーの総経理(社長)より夕食の誘いを受けました。「今夜は彬州の名物を食べに行きましょう」日本人は刺身が好きだ。サーモンが好きだ。それは彬州まで知れ渡っていた...
旅の随筆

娘が住んだマカオ2019 – カジノは出口の無い迷宮、娘の部屋は冷蔵庫のアイスが消えるシェアハウス

私は湖南省長沙に、長期出張を含めて足掛け5年駐在しました。はっきり言うと、料理がもの凄く美味しい広東省の隣にもかかわらず、長沙の料理は辛過ぎて広東料理に比べて美味しくありません。すべての料理に真っ赤になるほど唐辛子を入れるのが作法。洗練され...
世界遺産 おすすめ

広西の取引先に代金回収で通った桂林 – 三角債と、漓江で泳いだ日

広州から広西へ。飛行機が着陸態勢に入ると同時に、窓の下に不思議な光景が広がり始めました。ぽっこりぽっこりと地面から突き出たような、形の違う山、また山。丸い山、尖った山、横に寝たような山。一つとして同じ形がない。そしてその山と山の間を縫うよう...
世界遺産 おすすめ

マカオ① 家族旅行編:要塞ホテルに泊まる – ポウサダ・デ・サンチャゴ、タクシーが通じない話

1997年5月、広州駐在時代に休暇を利用してマカオに旅行に行きました。その後、何度も利用することになる広州から珠海まで130kmを車で移動、珠海通関からマカオ側の拱北口岸という出入国審査場を通過することになります。陸続きの為、中国人、マカオ...
戦争と記憶

母が言った「報い」近衛上奏と「一撃講和論」を知って考えたこと

毎年8月になると、テレビ・新聞は広島と長崎の話で埋まります。「核兵器廃絶」「二度と使わせない」それは本当に大事なことだと思います。でも先日、スマホで記事を読んでいた時、ある言葉が目に飛び込んできましたた。「一撃講和論」1945年2月、元首相...
絶対見逃せない映画 おすすめ

『白いパンと独裁者』命がけで手に入れた白パンはあまりに小さかった

弟は二口で食べた。物々交換でやっと集めた材料で、パン屋に焼いてもらった白いパンを。1945年、島に物資なんてなかった。魚の日干しの手伝い、島を渡り必死の思いで手に入れた砂糖など小麦粉を手に入れた。そうやって集めた材料で、できたのは白パン一つ。それだけだった。
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