『私のことだま漂流記』をどうして読んだのか? 本の概要
本作品もたまたま某社社内報の”おすすめ本”に推薦されていた為、本屋で見つけ手に取った一冊です。なお、同エッセイは毎日新聞『日曜クラブ』に連載されていたので、作家名として認識はありましたが、残念ながら余り真剣に読んだ記憶はありません。改めて、単行本としてまとめて読んでみると非常に興味深い内容だったことに気付き、一気呵成に読むことが出来ました…
本書は山田詠美の人生の各ステージごとの印象的なエピソードを中心に書き綴った随筆集となっています。文学少女時代、学生・漫画化時代、新宿・六本木のホステス時代、横田基地時代から文壇デビュー後の歴史を辿る回想録となっています。交流範囲の広さも覗え昭和文壇の大御所たちとの接点に関わる思い出話にも大変興味を惹かれました。
『私のことだま漂流記』の感想
歯切れのいい明瞭な文章で非常に好感が持てました。納豆屋が自転車に乗って毎朝、木を薄く削った皮にくるんだ三角形の納豆を売りに来るという仔細な状況は一遍に60年近い昔の埼玉の実家の思い出を蘇らせてくれました。子供時代に食べたこの納豆が今でも一番美味しかった(日本一)と思っています。現在は3パック70円のおかめ納豆ばかり食べてますが…山田詠美さんと納豆の味談義を交わしたくなりました…
新宿ゴールデン街は学生生活を4年間札幌で送っていたので、会社に入社し上京した後、何回か同僚に連れて行かれ、度肝を抜かれた事があります。東京にもこんな訳の分からないとてつも無く怪しい一帯が残されている事にびっくり仰天しました。そんな通りの二階の”スナック”で酔っ払い相手の水商売経験があると聞いて更に驚きました。そんな中には大物作家が夜な夜な出没していたお店があったとはまったく知りもしませんでした。そんな場所で、偉そうな奴と本当に偉い奴の違いを学んだそうです…
わたくし事ながら、銀座のクラブ『エ●』(先輩に連れられ何度か行く内に、新入社員の超破格特別値段で応対してもらったこともあり、味をしめ一人で行くこともありました)ママは明治大学文学部卒の為か作家たちの客も多く、当時『ひとひらの雪』で知られていた渡辺淳一さんとは何度かお会いしました。壁に溶け込む様に大変静かにお酒を飲まれていました(『失楽園』を執筆されるのはずっと後からです)
六本木・赤坂のディスコ、カラオケ(道場)に入社3,4年目頃まで毎週金曜日の晩は良く出掛けました。多分どこかで山田詠美さんと擦れ違っていたかもしれません。私と四谷に住む同僚が六本木通りを歩いていると、丁度彼の姉さんが黒人のボーイフレンドと一緒に腕を組んで歩いているところを擦れ違いました。『今のうちの姉貴だよ!』と教えられて、東京は随分進んでいるなぁと、ちょっとびっくりしたことがありました。
これだけの読書量、人生経験、人間観察力、文章構成力などがあれば作家になって当然と思われます。また、無尽蔵に書きたい文章が沸き上がって来る事は無く、文章を書く事は苦しい作業であるとも語っています。しかしながら、書きたい事がある、書きたいことを書ける能力があるから作家として成り立っているのだと感じました(大変勉強になります)
遅まきながら、同年代に生きて、まったく違う環境で生きてきましたが、どことなく親近感を勝手に感じさせるところに非常に興味を持ちました。しかし、まだ一冊も山田詠美さんの”小説”を読んだ事がありません。是非早急に読んでみたいと思いました。
『私のことだま漂流記』の世間一般的な意見はどんなものがあるのか?
「読書メーター」で一般公開されている興味を引いた感想を2つ引用させて頂きます。極めて好意的な感想が多いです。
著者の山田さんは感性に加えて構成力もすごい、我々頭脳労働者の味方でもあった!という発見です。その元は幼少時からの豊富な読書体験とあこがれの対象人物(宇野千代先生)を持っておられたからであろう、そして書いては推敲し「もっともらしく」なると逆に本当かなと反省もして素直な表現に戻る。そして個々の部分の特徴が全体の一本の軸を中心に花開く、この構成力は大変な頭脳の力の証明でもあろう、読者としては単にその成果を楽しめば良いのでしょうが、新鮮な印象でした。
本書は山田詠美の人生の各ステージごとの印象的なエピソードを描いた随筆集であり、文学とは何かを紐解く指南書であり、彼女の膨大な読書経験に基づく日本&世界文学案内であり、昭和文学界の華麗なる歴史を振り返る回想録だ。そして昔からのファンにとっては目からうろこ、彼女の離婚の顛末と考察がさらりと挟まれている。文学とは、記憶の中でついスキップしてしまう部分をわざわざコマ送りにして確認し、言葉で表現することにも似ている。
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