「平遥古城」へのアクセス
平遥は山西省省都太原の南方100㌔と近く、ツアーバスで2時間弱の路程。途中太原市近郊 東湖酢園(有名な山西省の酢醸造所の見学、土産も購入)にも立ち寄ることが出来ました。
山西省内にはもう一つの世界遺産があるので、こちらも合わせ訪問するのが便利。
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他に古い街並みが現存している都市で最近訪問したところ、
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「平遥古城」の概要
平遥古城は歴史は古く1370年に築かれ、その後25回の修復を受け、創建当時の姿を現在まで伝えているとの事。明代から清代末期までは山西商人の拠点であり、特に清代末期は為替業務で栄えた中国の金融(票号)の中心地であったが、清末から中華民国への動乱に際して業務継続が困難となり、20世紀後半には貧困地域に転落。
しかしながら、県財政に余裕がないために都市の再開発が行われず、結果として平遥古城には14世紀の明代始めに造営された町がそのまま残ることとなった。明代から清代にかけての中国の典型的な城郭、街路の配置、商店や住居などの古建築の保存状態はよく、中国でも最も整っているもののひとつである。また、古城内に学校、工場、病院なども備わっており現代においても旧市街だけで都市機能を有している珍しい都市となっている。
現在も高さ10㍍に及ぶ城壁が周囲6kmを取り囲み、古城内部では市民が現在も普通の生活を営む。
「平遥古城」の主な見どころ
中国票号博物館(日昇昌)
票号とは銀行の前身。日昇昌は1823年創業した中国最初の票号、平遥や周辺都市には続々と票号が起業され、これら企業集団は「山西帮」と呼ばれ、中国国内を初め、日本や朝鮮など海外にも支店網を築き上げた。
古衙署(県衙)
何と元代から清代までの平遥の県庁所在地が姿形がそのままで現存している。中国全土でも最も保存状態の良い旧県庁として大変貴重な建築群となっている。
平遥については、出向会社の中国人スタッフから一見の古い歴史のある町で、美しい古城として訪問を強く勧められていました。五台山と地理的に近い為、一緒に合わせて訪問することを以前から計画していました。
平遥の古城の城壁周囲約6キロの方形、城壁は14世紀明代に造営されたもので非常に保存状態が良く、維持されています。
なんといっても特筆すべきは清朝末には金融事業で中国全土及び海外展開で強大な力を誇った票号(金融業者)が平遥古城内に20数家も存在しており、その票号のひとつ「日昇昌」の旧宅は未だに当時のまま現存していることです。
辛亥革命以降それら票号各社は巨額の債権が回収不能に陥り、没落して行きました。また、現存する県署(役所、裁判所、牢獄、拷問用の道具類などが当時のまま保存されている)等見所は多くあり、いずれも往時の状態のまま保存されています。まるで百数十年前にいるような気分になります。牢獄や多様な拷問用具の数々がそのまま残されて展示されており、その数には驚きます。(敢えて写真を取る気にならず)
さらに平遥近郊には巨万の富を築いた山西商人(豪商)の大邸宅であった「喬家大院」などの見所も散在しており、平遥と合わせ訪問する事が出来ます。
現地ガイドからは山西出身で後世に名を残す著名な政治家はほとんど出ていない。これは小さい頃から、少しでも才覚がありそうな人材は見つけ出し、全て商人となるべく教育を叩き込まれ、商売の道に入っていった為と説明を受けました。この地区の人材は昔から生きる目的は「商人」となり富を築くことだったそうです。
なお、三国志の英雄関羽の出身地は山西省太原の南方400㌔にある運城市です。関羽は古くから商売の神様として、中国国内を初め全世界各地の中華街などで祀られている「関帝廟」が存在しています。戦に滅法強く義の人であった関羽が、商売で最も重要な「信義と節操を守り通す事」を象徴しているそうです。
今では山西省は中国屈指の石炭業を中心地に繁栄しています。到る所で炭鉱が掘られ一時期、石炭景気でたいへん潤っていました。最近は海外からの輸入炭が増えた事から石炭価格が下がり、最近は不況に陥ってしまいました。
最後に
中国は広しといえども、街一個が明代・清代のまま保存されているというのはびっくり仰天です。雲南省の麗江でも古い町並みが現存しますが、平遥の様に城郭の中がすっぽり時代劇のセットと見間違う程完璧な形で現存するというは本当に珍しい。
北京からの新幹線が開通した為、最寄り駅「平遥古城」まで4時間だそうです。近場には「五台山」を初め黄河の『壺口瀑布』という絶景ポイント(わたしはまだ訪れていません)があるので、合わせ行かれたら楽しいと思います。
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