「鳳凰古城」へ訪問する前
「中国で最も美しい古城」と聞いて皆さんは中国国内のどの都市を思い浮かべるでしょうか?
北京の紫禁城、陝西省西安など現在も荘厳な古い城壁が現存します。山西省平遥古城も山西商人の豪邸などが未だに残り当時の繁栄の面影を伝えています。
今回、私が訪れた「最も美しい」と讃えられている古城は湖南省長沙市から480㌔の西湘地区(自治州)に位置する「鳳凰古城」です。
ここは殆んどの日本人にはおそらく馴染みが無い地名だと思います。実は私も今回中国長沙に駐在して初めて知った古城です。
わたしが「鳳凰古城」を訪問したのは福建省に住んでいる知人(福建省在住の日本人の知人より紹介を受けた中国人 Sさん)から突然受けた一通のメールが切っ掛けでした。
Sさんは1週間仕事を休んで、湖北省武漢大学(武漢市東湖桜花園の桜並木。ここは大連旅順と並ぶ中国二大桜の名所の一つ)の桜を見物した後、湖南省「鳳凰古城」を訪ね、長沙に立ち寄り福州に戻るという日程を連絡してきました。
Sさんのメールはわたしに、一緒に行かないかというお誘いではなく、今回の旅行の途中で長沙にも寄る時間があるので、都合がよければ、食事でも一緒にしませんか程度の気持ちか、或いは長沙の見所を紹介して欲しいというメールであったのではないかと考えられました。
Sさんに本音を聞く機会が無かったので、今となっては確かめようがありません。
わたしは湖南省長沙市に2015年11月に赴任しており、 既に4か月が過ぎていました。赴任直後の12月から長沙は冬の長雨の季節に入り、この寒くて鬱陶しい雨季は3月末まで延々と続いていました。
省内外への国内出張及び春節の日本への一時帰国を別とすれば、冬の連日の雨の中、土日にも遠出する気持ちになれず、冬の4か月間を長沙で悶々と過ごしていました。
3月末になりようやく長雨も止み、気温も大分暖かくなってきたので、そろそろ旅行でも行こうかという気になってきました。
ちょうどそんな時、Sさんから今回の湖南の旅に出かけるという連絡をもらいました。
中国で最も美しいなら、是非行ってみたいという興味を以前よりずっと抱き続けていました。しかし、心配していたのが、実際鳳凰古城に行った人の話を聞く限りでは、鳳凰古城は観光地化が進み、非常に騒々しい街に変貌してしまった。
美しい昔の古城の面影はほとんど残されていない等否定的な話が良く聞こえてきました。
とにかく自分の目で確かめてみないと、どうなのかわかりません。
今回、福州のSさんに訪問計画の連絡を受け、このチャンスに同行して鳳凰古城に行きたいと連絡を取りました。
「鳳凰古城」 へのアクセス
- 1日目 : 22:00長沙駅発 ➢ 6:00吉首駅着 (夜行寝台列車車中泊 移動)
- 2日目 : 吉首➢ 鳳凰古城(路線バス)
- 3日目 : 鳳凰古城 ➢ 苗族部落 ➢ 鳳凰古城 ➢ 吉首 (観光マイクロバス)
- 4日目 : 20:56吉首発➢ 6:10長沙着 ( 夜行寝台列車 車中泊 移動)
鳳凰古城の位置は湖南省長沙市の西方480㌔、地図上では長沙市と重慶市の中間地点。
長沙から鳳凰古城へ行く場合、一般的には車か観光バスで高速道路を利用します。片道5,6時間程度の長旅となります。かなりの無理をして早朝に出発すれば長沙からの日帰り観光もできますが、通常は最低1泊2日かあるいは近くにある世界自然遺産である「張家界」と組み合わせ、 3,4泊程度の旅程で周遊するルートが一般的だと考えます。
まず、「中国で最も美しい」鳳凰古城は今後の中国国内旅行の第一歩の足慣らしをしたいという思いと、また、たまたま今回は同行してくれる知人もいるという安心感があったので、鳳凰古城を最初に訪問する旅の行先に選びました。
実は、わたしは30年前の1980年代より中国国内の個人旅行、しかも単独旅行の経験をしでいます。当時は現在と異なり、中国国内の観光地、ホテル、食堂等ではいわゆる「サービス」をほとんど期待できない時代でした。予期せぬ問題(しかも難問)が日常茶飯事で起こりました。
旅行者は毎日様々な予想外の問題に直面しながらも、これを「楽しみ」、或いは、「打ちのめされ」ながら旅をしたものでした。
そんな時代背景もあり、今より中国国内を訪問する中国人観光客の絶対数は圧倒的に少なかったと思います。それでも北京の故宮、西安の兵馬傭や河南省の少林寺など超有名な観光地にはたくさんの観光客が押し寄せていました。
当時と比較して現在は交通、ホテル予約、ツアー参加予約等々あらゆる面で格段に便利なっています。
便利になったとは言え、旅行に行くところは初めて訪問するところが多いので、交通が便利になり、ホテルが良くなったとしても、実際現地で何が起こるか行ってみないとわからないというのが中国国内旅行の現実です。
万一の事態への対応がきちんと出来るかどうかが一番肝心なところだと思います。どんなに便利になっても、中国国内旅行の”緊張感”から開放されることは無いのかもしれません。
鳳凰古城の位置する湖南省湘西地区(湖南省の西地区で貴州省との境界に位置する自治州)にはこの鳳凰古城以外にも文化大革命当時、庶民の過酷な生活を赤裸々に描写した映画『芙蓉鎮』の舞台となった同名の芙蓉鎮も観光スポットとなっています。
張家界、吉首あるいは長沙からもバスツアーが組まれています。(芙蓉鎮の位置は張家界と鳳凰古城の中間)
30年も前の映画ですが、わたしは最近中国のDVDで見直してみました。 見るまで芙蓉鎮が湖南省内にあることを知りませんでした。中国映画ファンで『芙蓉鎮』に興味のある人は撮影当時の面影を残している芙蓉鎮を訪問するツアーに参加してみるのもいいかもしれません。
同自治州はミャオ(苗)族、トゥチャ(土家)族等の少数民族の居住地区となっているので、少数民族の部落を訪問し、地元のレストランで、地元料理を堪能するというツアーが人気となっています。
料理は燻製の豚肉を使う炒め物が特色料理ですが、その他は中華料理と味付けはほぼ一緒でした。
今回知人のSさんは、一人旅でしたが、もともと単独で夜行寝台に乗り、長沙・吉首間を行きも帰りも夜行列車で移動するという、強行軍の旅行計画をたてていました。
これは移動中の電車内で睡眠し、ホテル代を浮かすという昔の日本の大学生が旅行に出かける時の旅行資金節約の常套手段です。 この旅行手段を中国の現代の若者も行うことが少し不思議に思えました。
わたしも押し掛け同行させてもらった手前、往復とも夜行寝台利用となりました。長沙発22:16の夜行寝台(2段ベッドの4人用コンパート)に乗り、吉首着早朝5:47着という列車で行く事になりました。いわゆる一等寝台(軟臥)で一人片道292元という最上級のクラスで値段も少し高めでした。長沙市内のちょっとしたホテル一泊同等の価格レベルです。
二等席、ベッド無しの椅子席で片道110元程度です。一等寝台の料金は二等席の約3倍です。ベッドで横になり、寛げる快適さをお金で買う事が出来ますので、翌日の古城散策の為の体力温存を考えれば、多少高額でも躊躇なく一等寝台にするべきだと思います。
夜行寝台列車を利用すれば確実に時間の節約にはなります。体力のある若者にとっては、寝台車でなくても椅子席で問題はないでしょうが、50才を超えるとベッドに横たわることは出来ても、揺れる振動とレールとの軋みの音に悩まされて、安眠できません。睡眠不足の恐れがあるので、やはり夜行電車での移動はあまりお勧めできません。
夜行寝台の風情を楽しみたい、寝台コンパートメントの中で新たな出会いを期待したい、或いは、話の種に一度は乗車してみたいと言う事であれば、それはそれでいい思い出になるに違いありません。
但、今回の鳳凰古城への移動は時間節約の目的も有り夜行寝台を利用した為、車窓からの素晴らしい景色が全く見られず、折角の西湘地区の山間部の絶景も全く見る機会がなく、残念でした。
後日出張で長沙市と貴州省貴陽市(吉首駅から更に西側にある都市)とを往復する機会に、新幹線を乗りました。この時わかったのですが、この区間は山ばかりで、大半をトンネルの中を走行しており、周囲の自然の景色を眺める事はもともと出来ない路線の様でした。
列車のチケット予約システムの利便性の向上は旅行者にとって便利になっています。パソコンや携帯電話から予約が可能である為、 Sさんにパスポートナンバーを事前に教えて置き、わたしの分の長沙・吉首間の寝台夜行列車のチケットの予約、しかも往復の予約が簡単に出来ました。もちろん代金の支払いもオンラインで済ますことができます。
この方法を今回、自分でも行う事を覚えたので、この日以来、列車の予約は自分のスマホを利用して自分で予約しています。
20-30年前は、わざわざ旅行の出発前に駅の窓口まで出掛けて行き、切符を乗車前に購入しなければなりませんでした。しかも片道のみ購入が可能で、帰りのチケットは現地到着後、現地の駅の窓口の長蛇の列に並ぶ必要がありました。
但し、いまだに厄介なのは予約し、料金をネット上で支払済でも、出発前に駅の窓口、市内切符販売専門店で、身分証明書を提示して切符を発券して貰う必要があることです。
外国人の場合はパスポートを提示して切符を発券してもらう必要があります。本人が窓口に出向く必要はないので、誰かにパスポートを預け代理にチケットを窓口で入手して貰う事は可能なのは大変助かります。
一般の中国人は無人の自動発券機に身分証を挿入して読み取らせれば、簡単に切符の受取が可能です。外国人は係員のいる発券窓口列に並ばなければなりません。
しかも、ここに並んでいるのは外国人だけではなく、一般中国人でも”自動券売機”の利用の方法が判らない人などがたくさん並んでいます。
中には出発時間、期日の変更手続き、払戻し、2,3日先の切符の新規購入、何時間も余裕のある出発時間の列車の予約変更の為に並んでいる人もいます。
わたしの列車の出発時間が切迫していることなど他人はまったくお構いなしです。場合によってはチケットの発券が間に合わず乗り遅れる恐れがあります。
その為、遅くとも出発時刻の1時間前には列に並び、早目に切符を手に入れて置く必要があります。
それでも列が長く、チケット受取が間に合いそうもない事があります。その時は最終手段ですが、列に割り込みをします。間に合いそうにない場合は、窓口近くに並んでいる中国人に「出発時間が切迫しているので、何とか割り込みさせて欲しい」と頼み込む必要があります。
切羽詰まった表情で、パスポートを振りかざし、「大変だぁ」と喚き散らせば、行列先頭付近の中国人は一応皆いやな顔をしますが、大抵割り込みさせてくれます。わたしはこの手で逆に何人もの中国人に割り込まれた苦い経験が有ります。
鳳凰古城を訪れた4月初旬の清明節は、多くの中国人は実家に帰り先祖の墓参りをする風習が残っています。夜行列車で西湘地区方面に里帰りする多くの学生が出発待ちの列に並んでいました。夜にも関わらず待合室は大変な数の出発待ちの旅行客で大混雑していました。
改札口付近は出発時刻前には長蛇の列となり、出発時間の10分前に改札が始まると乗客がホームに雪崩こみ、既に停車中の車輛目がけて走り出します。これは昔ながらの既に見慣れた光景ですが、やはり相変わらず信じられない大きな荷物を背中に、肩に、両手にぶら下げている人の多さにはびっくりさせられます。
以前は布団、枕を背中に背負って移動する出稼ぎの人々を多く見掛けましたが、最近は出稼ぎの人を見掛けることは少なくなりました。
一等車の寝台コンパートメントは30年前とほとんど変わらず大変広く、衛生的で快適でした。二段ベッドの下段は二人組の男性に占有されていました。広州から貴州省凱裏まで行く様でした。 わたしら二人は上の段のベッド二台で寝る事になりました。
既に夜中10時を回っているので、切符を車掌に預け、代わりに貰う座席を判別する為の金属製プレート(座席番号カード)を受け取ります。下車駅到着直前に知らせに来て貰う際、プレートと交換にチケットを返却して貰うシステムとなっています。この方式も以前とまったく変わっていません。
夜行電車内では消灯後、慣れない列車の振動でなかなか寝付かれずにいましたが、いつの間にか寝入ってしまい、目的地の吉首駅到着直前に車掌に起こされました。
昼間の列車に乗れば、ポットに入ったお湯を注ぎに来たり、弁当を売りに来たり、或いは食堂車の予約を聞いて時間になれば、呼びに来るなどかなり木目細かいサービスが期待できますが、夜行列車ではそれらサービスは一切ありません。
吉首駅到着後眠い目を擦り、早朝からラーメン屋で腹ごしらえをして、乗り合いバスに乗り鳳凰古城に向かいました。
吉首駅前からは何本ものバスが出ているので大変便利です。他にも観光マイクロバスの客引きが吉首地区のスポットを回る見所満載ルートの旅行ミニツアーへの参加を執拗に勧めて来ます。
運転手の説明では周回する観光ルートの地名がどれもこれも初めて聞く名ばかりであることと、肝心な鳳凰古城に何時頃到着予定なのかよくわからないので、利用は躊躇されました。
また、マイクロバスは定員が揃うまで出発出来ない為、これら客引きの誘いは一切断って直接鳳凰古城に向かう路線バスに少し待って乗る事にしました。
「鳳凰古城」 の宿の確保
鳳凰古城に到着した時は雨が上がったばかりのすっきりしない曇り空で、地面は昨夜からの雨でしっとり濡れていました。早朝にも関わらずバスを降りると民宿や小旅館の客引きのおばちゃんが近寄ってきて取り囲まれてしまいました。
その中の一人を選び道案内を頼み、宿の紹介受ける事にしました。古城の中の路地をあちこち引き回され漸く到着しました。石畳の道は狭く入り組み、川に向かって坂となり下っています。宿の客引きおばさんと古城内の人はほとんどが知り合いで、行き交う人とお互いに朝の挨拶を元気よく交わしていました。
行きついた宿は古城内の川の橋を渡った対岸の民宿でした。ところが、この宿は「中国で最もきれいな古城」で宿泊するにはかなり薄汚い感じの民宿だったので、何とか別の宿の紹介を頼みました。
次に紹介されたのは、おばさんの親戚が経営しているという同じ川沿いの宿でした。2階からの川の風景・街並みの眺めは結構良い部屋だったのでそこに決めました。
難点はベッドの形状がピンク色の円形ベッド(私はかなり寝相が悪いので丸いベッドは都合が良いかも知れません)、部屋内に鏡を多用するという落ち着かない部屋でした。
風呂にバスタブは無く、シャワーのみです。部屋に備え付けのゴム草履でシャワールームに入り、草履で部屋内を歩き回ると部屋の床がびしょびしょになるという事に悩まされました。
これを解決する為にはゴム草履はシャワールーム内で脱ぎ、バスマット、バスタオルで良く足を拭いた後、室内用の別のスリッパにき履き替えるという事を思いつきました。そうすれば濡れたゴム草履で室内を歩くことなく、快適な室内を保持できます。
次回は出張で泊まるホテルのしっかりした室内スリッパや飛行機で貰えるスリッパを持ち帰り、個人旅行時に持参することにしました。
安宿(民宿、ビジネスホテル)ではどこもペラペラの室内用のスリッパしか準備されていないか、あるいは最悪スリッパが準備されていないところも結構あります。
大手ビジネスホテルなどの使い捨てスリッパは持ち帰っておくとこのような地方のホテルでの宿泊にたいへん便利です。
昨晩の夜行寝台の移動による睡眠不足もあり、他にもっと良い旅館があるかもしれないという思いもありましたが、既に2軒もみているのでとにかく今晩は部屋のこだわりを捨て、寝るだけで良いと腹を決め、このホテルに泊まる事に妥協してしまいました。
荷物を置いて、暫し仮眠をとる事にしました。
結果的にはこの安易な部屋選びの決断が最悪の事態を招く事になりました。しかし、それは後の祭り。一緒に来たSさんは同じ民宿で別の部屋にすればいいものを、私が寝ている間に近場の別の宿の部屋を取り、荷物を置くと早速一人で古城散策に出かけるというバイタリティを発揮していました。未だになぜ別の宿にしたのか釈善としません。
昨日は昼間武漢での桜見物、夜行列車の疲れも見せず、古城に繰り出して歩き回る元気さは、やはり筋金入りの中国人旅行者を感じさせます。
「鳳凰古城」 の見学
鳳凰古城概略
”中国十大古城のひとつ鳳凰古城は湖南省湘西トゥチャ族ミャオ族自治州鳳凰県にあります。鳳凰古城は1000年以上の歴史を誇り、明清時代に形成された町並みや建物が現存しています。中国の歴史文化名城に指定されています”
”鳳凰古城は縦横に石畳の街路が伸びており、住居のほとんどが「吊脚楼」と呼ばれる高床式家屋です。屋根のある橋など独特な建築を見ることができます。鳳凰古城はニュージーランドの作家・ルイアイリが「中国で最もきれいな町の一つ」と称賛したほどの場所で、鳳凰県の出身で中国の著名な作家、沈従文(1902-1988)の名作「辺城」が鳳凰古城を舞台にしたことでも知られています。鳳凰古城は新区と旧市街の部分に分かれていて、山に沿って広がる旧市街には沱江も流れ水も豊か”
わたしも暫し午睡の後、午後から一人で、古城の見物に繰り出しました。
宿のひとから、何カ所かある古城の門を一旦出てしまうと再度入城するには148元で購入する許可証の提示が必要の為、門から城外へ出ない様にと注意されました。
古城の門から出てはいけない!これでは広くもない古城内に軟禁されたような気分になります。確かに今朝古城に入る時通った門には番人がいて、入場者の許可証提示を求めていました。但し古城内の宿泊施設に宿泊する旅行者はこの入場料148元は免除される決まりになっていました。
早朝、古城に入るときは、宿の客引きのおばちゃんが門番に一言二言言葉を掛けるとわたしら2名は門をそのまま通り抜ける事ができました。
古城は古くからの城壁がそのまま現存し、城内・城外をはっきり分けていました。城内保護費用の名目で最近入場料の徴収が開始されたのですが、それにしてもこの148元はかなりの高額です。
城内を歩き回ると、確かに聞いていた通り古城内の古民家はほとんどがお土産屋、喫茶店、飲食店、スナック屋、カラオケ、バー・クラブに改装されて営業していました。
石畳の街路と川沿いの街並み・瓦葺の屋根の外観の風情は残されているものの、お店で販売してされているものは全て現代版の「お土産」「スナック」「揚げ物」ばかりでした。
鳳凰古城内の喫茶店に入り、店内の座席から河畔の風景を眺める事は出来るものの、店の前の路地を行き交う観光客も多く、余り居心地の良い「休憩所」となっていませんでした。
お揃いの帽子をかぶり、ジャンパーを着た団体旅行客の姿が非常に目立ちました。
夜になると、静寂な昼間の古城とは一変し、眩いネオンが川面に光り輝き、カラオケ、ダンスホール、舞台から聞こえてくる大音響には耳を塞ぎたくなりました。観光客も細い路地の到る所を徘徊し、不夜城『鳳凰古城』が出現してきました。
更に最悪の事態はわたしの泊まった宿の一階がなんとカラオケ屋で、真夜中の2,3時までけたたましい音響、歌声が響き渡っていた事です。カラオケ天国鳳凰城、観光地に歌を歌いまくりに来る人がこれほど多い事にびっくり仰天です。
昨晩の夜行の疲れもあり、カラオケ屋が静まる前に寝入ることが出来ましたが、迷惑千万な話で「中国で最も騒々しい古城」と改名してもらいたくなりました。
「苗族部落」へのミニツアー
Sさんの少数民族であるミャオ族村落ツアー参加については恐ろしく執着していました。どうも「鳳凰古城」と「ミャオ(苗)族部落」は中国人旅行客の間ではパッケージになっているようで、ミャオ族部訪問を非常に楽しみにしている様子でした。
翌朝は8時に予約した観光バスでミャオ族部落見物ミニツアーに参加しました。ツアー申込は古城の城内城外到る所にあるツアー案内所で申し込みが出来ます。大変に便利そうでした。今回はSさんにチケット手配は任せしました。
2,3人のグループでの参加者が何組か集まり20数名で一台のバス旅行団を形成する様です。 殆どが大学生の小グループだったと思われました。運転手の他に1名のツアーガイドともう1名の助手がついているミニツアーでした。
車中乗り合わせた中国人同士はお互いに幾らのツアーに参加したのか確認し合っていました。私の料金はあなたのより30元安かっただの、高かったのだのひとしきり騒いでいましたが、とにかくツアー料金は異なる購入窓口で買った場合、高かろうと安かろうと内容は全く一緒であることをこの時の情報で良く確認出来ました。
観光地には多数の旅行代理店がツアー販売所を開設しています。どこも内容、値段は似たりよったりです。多少の値段の差はあります。
しかしながら、どの旅行代理窓口で購入したとしても、ツアーを実際実施する運営会社は一社なので、内容は一緒のカラクリになっています。
窓口に足を運び申し込めば、翌日出発のツアーには問題無く参加できます。
日本人は松竹梅の3コースがあれば、無難な真ん中の竹コースを選びそうですが、中国では迷わず最初から一番安い梅コースを選ぶのが良いでしょう。中国では値段の違うコースでも内容はほぼ一緒で値段が違うだけです。
ツアーガイドは全コース必ずつきます。ガイドの説明は北京語です。北京語の日常会話能力はツアー参加の必須条件となります。英語や日本語は全く通じません。
このコースのルートは、ミャオ族の精霊が宿るといいう洞穴まで小舟に乗って川を渡り、ミャオ族の食堂で少数民族族料理を食べました。特別に少数民族の食事だからといってジビエ料理の類が提供されるわけではありません。
ごく普通の中華料理ですが、味付けは少数民族風と思われます。日本人には十分受け入れられる美味しい味付けでした。多用される肉は腊肉という燻製肉が主体です。昼食を食べて、土産屋で土産を購入して帰ってくると言う非常にシンプルなツアーでした。
長沙での超激辛湖南料理に飽きていたので、ミャオ族の純朴な田舎家庭料理の味付けに親しみを感じました。ツアー参加者10名毎に一つの丸テーブルを囲み、大皿に盛られた料理に各自が箸を伸ばして取って食べるというものです。
日本人はこの食べ方には馴染みが薄いかも知れません。色々な料理が食べられるという点では良いのかも知れません。通常8皿の料理、スープが提供されます。
難点は丸テーブルが回転式のものではないと、自分の席から遠い料理皿になかなか手が伸ばしづらく、ついつい手前の料理のみに手を出してすべての料理が均等に食べられない事です。
また、通常取り皿は一枚です。これとごはん茶碗一つのみが提供されます。高級料理店と異なり、ほどんどお皿の交換はもらえません。スープもごはん茶碗を使い飲むことになります。
ごはんを茶碗に盛って食べている間は、湯(スープ)をよそう食器がなく、その間他の人にスープは全部食べられてしまいます。
最後に残りの冷えたスープしか残らないというケースも有ります。
通常のバスツアーでは標準価格として一食あたりの食事代金は20-30元とパンフレットに表示されています。中国国内の旅行では出張でも個人旅行でも一人の場合、一番困るのはこの食事です。
一人レストランで食事をした場合、一皿の量が通常3,4名で分け合って食べる量の盛り付けがある為、一人でレストランに入って料理2,3品注文したら食べきれない量の料理が提供されるので非常に無駄になってしまいます。
料理を残す後ろめたさもあるしとお金がもったいないので、ついつい一人で食べきれる麺や丼物で済ますことが多くなってしまいます。
この麺一椀でも多くの観光地では20、30元もします。 三食ごとの食事の場所選び、メニュー選びの煩わしさを考えただけでも、ツアーに参加する事で割安に地元料理を堪能出来る事です。
自分で店を探す手間もかからない事、メニューを選ぶ必要もない事、食事の時間帯にはきちんと食堂の席が確保されている事等のメリットは大きく、バスツアーに参加する価値は十分あります。
最後に
長沙に駐在して初回にして最悪の旅であったわけですが、これが真実です。余り皆さんには参考にならないかもしれません。個人で何から何まで計画を立てていたらとんでもない結果になります。しかしながら、次回以降徐々にC-trip(携程)のサイト利用を覚え、旅の楽しみも格段に変化していきました。
ご参考:
湖南省長沙から日帰りで行ける観光名所
長沙から一泊二日の泊まり掛けバスツアーで行ける世界自然遺産
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