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映画『橋の上の娘』(1999/パトリス・ルコント監督)感想‣究極の純愛映画!?

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映画『橋の上の娘』のあらすじ・概要

ナイフ投げの曲芸師ガボールは、アデルと橋の上で出会います。男から男へと渡り歩き、すぐ捨てられてしまう人生に絶望したわずか22歳アデルは、セーヌ川にかかる名も無き橋の上から、欄干を乗り越えて立ちすくみ、今にも自殺を図ろうとしていました。そんなアデルとその場に偶然居合わせた、ガポールはナイフ投げの”的”にならないかとスカウトします。コンビを組んで巡業に出た2人はツキに恵まれ人気も出ますが、アデルは行きずりの男たちと関係を重ねていきました。

監督は「仕立て屋の恋 」のパトリス・ルコント。アデルを「ハーフ・ア・チャンス」のバネッサ・パラディ、ガボールを「サン・ピエールの生命」のダニエル・オートゥイユが演じています。

 

1999年製作/90分/フランス
原題:La Fille sur le Pont

映画『橋の上の娘』のスタッフとキャストについて

パトリス・ルコント監督

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ダニエル・オートゥイユ(ナイフ投げの曲芸師ガポール):1996年の『八日目』ではカンヌ国際映画祭男優賞を、1993年の『愛を弾く女』と2005年の『隠された記憶』でヨーロッパ映画賞の男優賞を受賞している/ナイフ投げの達人。刃渡り30㌢超の大型ナイフ十数本を”的”である女性の身体すれすれに投げ込んでいく大技を披露していく。

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ヴァネッサ・パラディ(アデル):俳優のジョニー・デップは元パートナー。歌手・映画俳優。ヴァネッサはロリータ的な雰囲気を持ち、舌足らずな歌声で人気を博すが、あまりに蠱惑的なために女性やメディアからの激しいバッシングを受けたという。1998年には『ハーフ・ア・チャンス』に出演しアラン・ドロンとジャン=ポール・ベルモンドと共演しています/本編では恋多き女性であるが、直ぐに男から捨てられると自分のツキの無さを嘆いている。

映画『橋の上の娘』のネタバレ感想

(ネタバレあり)パトリス・ルコント作品を最近見始めて(何本かは10年以上以前に観賞していましたが)10本目にして、わたし個人的にはかなり難解な作品にぶち当たりました。

若い娘アデルは、男性遍歴を重ねている内に、自分の不運を嘆きセーヌ河への身投げを図ろうとします。偶然居合わせた曲芸師ガポールの引き止めにも応じることなく、実際はセーヌ河に飛び込んでしまいました。その後、ガポールは勇気を出して夜のセーヌ河に飛び込み、必死に彼女を水中から抱きかかえ救出します。救急車・病院の場面に急に移り変わりどのように救われることが出来たのか顛末ははっきりしませんが、とにかく彼女の命を救います。

ナイフ投げの名人とその”的(まと)”のコンビとして活躍して行きます。そして、物凄い極限の素晴らしい大技に観客は拍手喝采を送ります。また、賭博場でもツキまくり一山を当てる事になります。

そんな運命的な出会いに、めぐり会いながらもアデルの男漁りの病は一向に収まることはありません。ガポールは、そのことを半ば諦め切っていた様です。しかしながら、突然予想もしませんでしたが、ガポールをひとり残して彼女は別の男と逃げ出してしまいます(乗船中の客船からとんずら)。彼女が消えた後、ガポールも消沈していまいます。ツキにも見放され、捨てて逃げた女性を忘れ、裏切りに対し堪忍袋の緒が切れるどころか、情けなくも街中で彼女に似た後ろ姿を見掛けると、我を忘れて追い駆けてしまうという体たらく振りには呆れるほかありません。

一部の映画解説によれば、『名匠パトリス・ルコント監督が贈る究極の純愛映画と絶賛されています。監督の他の作品である『歓楽通り』のプチ=ルイにも相通じる男としてガポールが描かれ、献身的で、究極的な無私の恋愛の形を表現しているのかもしれません。

女に逃げられた為、最終的に今度は自分が橋の上に立つという終局の形に正直かなりの”違和感”を感じてしまいます。さて、視聴者皆さんの感想は如何でしょうか?色々考えさせられるという点では一見の価値がある映画だと思います。また、様々な「愛」(常識外れ…)の形に思いを馳せるいい機会にもなり、強烈な余韻を残す映画である事に違いありません。

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