「裸足の1500マイル」の あらすじと概要
1931年、西オーストラリアのジガロング。14歳のアボリジニの少女モリーは、8歳になる妹のデイジー、従姉妹で10歳のグレーシーたちと楽しく平穏な毎日を送っていた。ところがある日、アボリジニ保護局の人間が突然やって来て、政府の現地人混血児隔離政策に従って彼女たちは拘束され、母親から引き離して施設に強制収容されるのだった。粗末な環境下で、白人社会(将来的には労働者、使用人として働かせるのが目的)へ適応するための厳しい教育が始まる。ある時、たまりかねたモリーたちは厳重な監視をかいくぐり脱走を図る。そして、延々続くウサギよけフェンスの先にある母の待つ故郷へ向けて1500マイルの遥かなる旅路を歩き始めた…。
「裸足の1500マイル」のスタッフとキャストについて
監督・製作:フィリップ・ノイス
原作:ドリス・ピルギングトン(メディアファクトリー)
撮影:クリストファー・ドイル
音楽:ピーター・ガブリエル
出演:エヴァーリン・サンピ、ローラ・モナガン、ティアナ・サンズベリー、ケネス・ブラナー、デビッド・ガルビリルほか
「裸足の1500マイル」のネタバレ感想
歩いた距離1500マイル(2400㌔)は北海道旭川から鹿児島指宿の距離です。途中道なき道で民家も当然まばらで、しかも保護局収容施設からは追手の執拗な捜索があり、捕えられれば、元に戻されてしまい、独房に入れられてしまいます。
生き延びる為に、民家に忍び込み鶏の卵を盗んだり、善意の住民に食料を与えられたり、野生の鳥の巣から卵を獲ったりしていました。映画の中では9週間歩き続けたという話です。勿論道標は1本もありません。一筋の生命線は一本のウサギ除けのフェンスのみです。
普通の人間では食料を見つける事もほぼ困難、精神的に挫けて家に帰るという望みは9週間も維持できないと思います。この少女達の家に帰りたい、母親に会いたいという一念の強靭さを保ち、家に帰ってしまいます。驚異の実話です。
オーストラリアの人種隔離政策で1930年代には白人とアボリジニとの混血の子供は親とは隔離して、施設にまとめて教育を施し、労働者や使用人として働かせる政策を実施しました。
人種隔離政策について詳細説明がありましたので、念の為以下引用します。
隔離・同化政策とは、オーストラリア先住民アボリジニの混血児を家族から引き離し、強制的に白人文化とキリスト教育を施し、のちにメイドとして仕える家主の白人男性と意図的に混血児を作りだし、その混血児に更に白人男性の子を産ませ、それを繰り返すほど先住民としての特徴が薄くなり、白人の特徴を含有する割合が高まるという仮説のもと、幾世代に渡って人類淘汰させていくことによって、やがては見た目もすっかり白人となるよう「白人化」させること、それがこの政策の目的だという
アボリジニの人々がとんでもない非人道的な扱いを受けていた事に怒りを覚えます。
14歳から8歳までの姉妹、従妹が実際に収容施設に入れられました。母親に再会したい一心で収容施設を抜け出し、右も左も分からない状態から1500マイル(2400㌔)も離れた自分の家に歩いて帰る実話です。90年前の白人政府がオーストラリア先住民に対して取った政策ですが、何と無慈悲な政策だった事かと唖然とさせられます。
勿論、逃走したことが分かると保護局や警察も協力して3人を連れ戻す為に必死の捜索はします。アボリジニの少女たち特に14歳のモリ―は驚異的に賢く、追手の追跡からまんまと逃れます。2400㌔を9週間ぶっ通しで歩き続けて、従妹は追手に捕まりますが、2姉妹は無事故郷に辿りつきます。9週間の間食べ物、水の確保など大変苦労したと思われますが、特に途中大きな砂漠地帯を横切る地域もあり、文字通り決死の逃避行でした。
原野ですれ違う人々から食料を分けてもらったり、民家に盗み入り鶏の卵をくすねようとして見つかりますが、親切にも食べ物や寒さを凌ぐ為に外套を恵んでくれる白人もいたことが、少しは救われた気持ちになります。また、途中の民家では以前同じ収容所に入れられていた女性(アボリジニの混血女性)が白人の使用人として雇われている場面に遭遇します。彼女は、実は自分も何とかあの施設から抜け出したいと思っていたが、それが出来なかったと打ち明けています。
理不尽な人種隔離政策ですが、そこを抜け出し2400㌔も歩き切る生命力/帰巣本能、母をひたすら思い続ける少女達の強靭な気持ちにその驚異的な体力に驚かされました。
最後に
この本作品の中で主人公の少女達以外に異彩を放つ存在として、追跡人ムードゥの存在があります。同じアボリジニであり、娘が収容所に入っているという微妙な立場です。真っ黒い顔で表情一つ変えずに冷静な判断で、少女三人の足跡を辿り数か月かも追跡し、追いつめていく働きは見事です。最終的には保護局の追跡の為の資金が無くなったことから、追跡作業は途中で終了となり、少女二人(ひとり従妹は捉えられる)は取り逃がす事になります。彼は内心では少女たちが無地逃げ帰って母親に会えることを願っていたに違いありませんが、一言も口に出さないし、表情にも微塵も気持ちを出さないところは、この映画がより一層引き締まったものにしている気がします。
製作者、監督の言わんとするところは観衆には十分伝わって来る感動の映画です。
尚、原作者ドリスの言葉がとても印象的です。
若い世代に伝えたいことは、正しいと思ったらそれを実行する勇気を持ちなさい
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