わたしが、40代に入りジョギングを始めた最大の目的は減量でした。中国駐在の日々の激務で(決して暴飲暴食ではありません)、増えた体重をどうにか減らしたい、痩せたという一心で本格的にジョギングを始めました。ジムのトレッドミル、屋外を走り込んだりする内に、次第に1時間10㌔程度は走れるようになっていきました。
しかしながら、目的の減量は始めた当初は少しばかりの効果がありましたが、ジョギングする習慣が定着した頃から、ほとんど体重は減らなくなりました。それでも、健康維持の為にジョギングをしばらく続けるうちに、マラソンの大会に出てみようと思い立ち、思い切ってマラソン大会にエントリーしました。
最初は、地元松戸で毎年正月7日に行われる「松戸七草マラソン」10㌔の部でした。トップランナーの異常な速さには度肝を抜かれました。その後も、ジムと屋外でのジョギングを定期的に行い、ハーフマラソン10回の完走を達成した後、フルマラソンへ挑戦する計画でした。
最終的にはフルは8回出場し、すべて完走。大変気候の良い秋11月に行われた「勝田マラソン」では念願のサブ4(3時間台)を見事達成しました。翌年行われた、第一回「東京マラソン」にも運よく抽選に当たり、土砂降りの雨に苦しみながらもなんとか完走を果たしました。
ほとんど、関東周辺の千葉、埼玉、東京で行われ比較的アクセスの便利なマラソン大会にエントリーしました。週2,3回10㌔くらいしか走っていないので、惰性で20㌔は比較的楽に走れましたが、フルマラソンはいつも20㌔を越え、30㌔以降はかなり苦しくなりました。出場も2回目、3回目と経験を重ねるうちに、徐々に楽に走れるものと考えていましたが、毎回同じ苦しみに襲われる為、第一回東京マラソン完走以降マラソン大会への出場は断念してしまいました。
出場された方、マラソン大会を応援された方は良くご存知だと思いますが、沿道の応援というのは出場選手に取って、物凄く励みになりました。「手賀沼マラソン」は正規の水・食料補給ステーションなども5㌔置きに設置されていましたが、その他にもボランティア、農家の方の“自主的な供応”で、おにぎり、お汁粉、果物、梅干し、漬物等の提供をふんだんに受けました。コースタイムそっちのけで、『次は何が出て来るか』もはや興味はそちらの楽しみに集中して走りました。
5㌔、10㌔通過地点の声援にはこちらからも手を振り返す余裕があります。多くの応援の旗が振られ、声が掛かる前だけは、通常の速さよりちょっとペースを上げて、頑張って走ったりするものです。
しかしながら、30㌔を越えると、沿道の声援、和太鼓の大音響、女子高校生のバトントワラー(何でマラソンの応援にと、意外でしたが)は勿論大変嬉しいものです。しかし、中には自分の前後に付けているゼッケン番号を読んでくれる人がいて、『3345番〜頑張れ〜』と応援してくれます。30㌔通過すると、声援に応える気力も無く、声援を無視していると『あれ〜折角応援したのに、あの人応えてくれないよぉ〜』とがっかりした声まで、はっきり聞こえてきます。すべて聞こえています。非常に応援はありがたいのですが、身体が思うように、まったく反応出来ないだけなのです。
前置きがだいぶ長くなりました。
フルマラソン挑戦前のハーフマラソンで、ある年6月に北海道「丘のまち美瑛ヘルシーマラソン」に挑戦しました。大学時代の友人Kと二人、東京から行きました。
宿泊地は美瑛の近くの上川町駅前で歯科医院を開業しているKの叔父さんの家に2連泊させてもらいました。また、空港への送迎、日帰り温泉、食事など何から何まで面倒を見てもらいました。
美瑛と聞き、わたしが勝手に想像していたのはラベンダーの花と本州が梅雨入りしても、北海道では爽やかな高原を駆け下りる雄大な丘陵コースを頭の中で思い描いていました。
ところが、十勝地方の6月初旬は残雪もようやく消え、まだ草の芽も芽吹く直前で、ラベンダーのラの字もない、土色一色の何もないだだっ広い畑が見えるだけでした。しかも、生憎の雨模様、濃霧と踏んだり蹴ったりでした。コース出発地点は本来絶景の十勝岳白金温泉付近からほぼ一直線に駆け下りるという単純なコースでした。理想と現実のギャップに思いっきり泣かされたハーフマラソンの思い出でした。(おまけにこの日踏んずけた馬糞の黄色は、ランニングシューズに後々までずっと残りました)
ところが、この小旅行でマラソン以上に印象に残ったのは歯科医の叔父さんの存在でした。
二日目レース後夕食は慰労会を兼ね、自宅の大きなガレージを使い準備されました。七輪を並べ魚介類を大量に運び込みBBQを始めてくれました。すると、歯科医院の前を通りかかった近所の人々が、いったい何が始まったのかと不思議な顔をして、中をのぞき込むや次々に先生に声を掛けられ「やあxxx、寄って行け!」「おいxxx、飲んで行け!食って行け!」とあっという間に10数名の大宴会が始まりました。
「わざわざ、東京からこの日のマラソン大会を走る為に来たKと加藤君!拍手!」とほとんど英雄扱いの紹介を受けました。いつの間にか、買い物袋を提げた近所のおばちゃん、パチンコ帰り(上川駅前には多分、パチンコ屋はありませんが)のおじちゃんなども増えて、大変盛り上がる大宴会が始まっていました。
北海道人のおおらかさ、また歯医者の叔父さんの人望の高さが伝わって来る光景は実に圧巻でした。
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