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おすすめ本|「『中国』の形成 現代への展望」 シリーズ 中国の歴史⑤岡本隆司著(岩波新書)

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おすすめ本の紹介
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「『中国』の形成 現代への展望」の概要

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さまざまな勢力が併存、角逐する一七世紀。そのカオスを収拾し、東アジアに君臨した清朝の「盛世」から、多元共存システムがほころびをみせる一八世紀。西洋の衝撃、革命と独立によって清朝が潰え、ふたたび混迷する一九世紀、そして現代へ――。一元化と多元化を往還しつづける、平和と騒乱の四百年を描く。シリーズ完結。(本書内容紹介文より)

本書は200ページ足らずの解説書ながら、やはり中学、高校の世界史レベルの叙述内容と比較すると、圧倒的に詳細で、なお且つ面白い内容で一気に読み通すことが出来ます。また、一度では覚えきれない内容だったので、直ぐ再読してみました。

大学卒業後、企業に就職し30数年在職しましたが、多分その半分以上を中国・台湾ビジネスにかかわってきました。しかしながら、中国の歴史については、現地に何年駐在しようが、どれほど厳しい交渉案件を乗り越えようが話は全く別で、「歴史」の理解については、改めてしっかりと時間を確保し、勉強しないと理解はまったく深まらない事と悟りました。

また、本書で日本の学者が異国である中国の歴史にこれほど精通されていることに、改めて驚きました。極めて素人の考えですが、本当の中国史は中国人学者以外には分からないのではないかと考えていましたが、その考えは間違いであることを認識しました。

 

「『中国』の形成 現代への展望」のトピックスについて

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「五族共和」というスローガンで必死にチベット、新疆ウイグル自治区のウイグル人を中国に取り込もうとしているが、本書を読む限り元々、チベット・ウイグル・内モンゴル等々を同じ中国で一括りとした歴史はごく最近の事という事がはっきりわかった。バラバラになろうというエネルギーの方がそもそも大きい。それに中国共産党一党独裁政権も中央・地方の腐敗が進み統治能力もそろそろ限界点に達している様な気がします。

全部を取り上げていてはキリがありませんが、本書で知り得た内容で重要な点、興味深い初めて知り得た点などを極々一部ながらピックアップし、本書の雰囲気をご理解いただければと思います。是非、実際本書を手に取られご一読をお勧め致します。非常に面白く、現代中国に対しても新たな視点を開く一助になるのではないかと考えます。

(清朝の成立)

中国東北部の武装商業集団の最大の成功者がジュシェン(女真族)のヌルハチであった。後を継いだヌルハチの八男ホンタイジは何と1634年、モンゴル遠征を行い勝利し、『大清国』皇帝として即位する。一方、当時明は内乱の大混乱の渦中にあり、李自成らが北京政府に決戦を挑んでいたが、ホンタイジの弟ドルゴンは摂政として幼帝順治帝の代わりを務め、李自成を北京から駆逐、『入関』を果たす。ここに明清交代の歴史的交代が実現した。

清朝は北京に本拠を移し、「流賊」を打ち果たしていったが、敵対勢力としては明朝の太祖が王朝を起こした南京、各地に一族を王に封じていた為、血縁の諸王を擁して「南朝」の再興を図ろうとする勢力が割拠していた。

清朝が明を滅ぼした訳ではなく、滅ぼしたのは明朝内部の李自成などを中心とする反乱グループ、清朝は微妙なタイミングの幸運が重なり、その後釜に座ったということ。

(貿易管理方法)

既存の民間貿易に権力がむやみに介入、干渉し、取引を力づくで規制しては、却って反抗を誘発し、治安の悪化を招く。清朝は交易したい人々が現地で交易をするに任せ、その管理規制もなるべく現地の・事情に明るい所轄の当局に任せる方針を採った

日本とは浙江商人が長崎にやって来て、貿易を行うのみの関係だった

このあたりは、現在も良く聞く『上の政策あれば、下に対策あり』という言葉に象徴される様に、少しニュアンスは違うかもしれませんが、地元の事は一番良く理解している地元に任せておいて欲しいという考え方に通じているのかもしれません。

(清朝・モンゴル・チベットの一体感はチベット仏教の結びつき)

清朝は1720年チベットに遠征し、チベットとの結びつきを正当化。ダライラマ養護の為ラサに軍隊と大臣を駐在させた。しかし、ダライラマの政教一体の統治には、ほとんど容喙しなかった。

こうして、満州人、モンゴル人、チベット人は、チベット仏教という共通の紐帯で固く結ばれた。

山西省の五台山を訪問した時、多くのラマ僧が修行する姿を見掛けました。チベット以外にもチベット仏教の影響が未だに色濃く残されている意味が少し理解出来ました。

(「因俗而治」=その土地の習俗・慣例に即して統治)

満州人・清朝がカオスの中を勝ち抜き、勝ち残る事がでいたのは、多分に偶然であり、もっと言えば、奇跡であった。彼らは同時代人の集団としては、必ず強大な勢力ではない。清朝はそれだけに、自らの非力な力量・立場を良くわきまえていた。虚心な自他分析と臨機応変の感覚に富んでいた。それが偶然・僥倖を必然化させ、多元化した東アジア全域に君臨し得る資質を生み出したばかりか、清朝そのものに3百年の長命を与えたともいえる。

清朝はリアリズムに徹し、現状あるがままを容認し、不都合が無い限り、そこになるべく、統制も管制も加えない統治に徹した。  

圧倒的な少人数の満州族が支配する体制作りには相当な知恵が絞られたに違いありません。その点は大変興味深く、もう少し踏み込んだ資料などあればと思います。

世間一般的な意見にはどんなものがあるのか?

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一般的な書評について何点か引用させて頂きます。極めて分かり易い内容との好意的な意見が圧倒的でした。

清の歴史については非常に分かり易く、かつ詳しく叙述されており、これだけでも十分に読み応えがあって満足できる内容である。また、現代のチベット・ウイグル問題につながる動きが、中華人民共和国成立前から既に存在していた事実も見逃せない

形態としては全五巻のシリーズもので、本著作は第五番目に当たります。独立して一冊の清朝・現代史として読む事は全く問題ないと思います。

今の中国を理解するのに好適なシリーズです。碧眼の孔子言及など最新成果にも配慮しつつ3000年の中国史を総括しています。各巻のつなぎは当然ながら出来はいまいちながら各巻並行して読み進みました

17世紀誕生の清を中心に、清滅亡から習近平政権までは駆け足で。今の中国を理解する史書入門としては最適かも。満州族の清が全中国を統治するために、明時代の在地在来の制度・慣習をそのまま利用したこと(因俗而治)17世紀から19世紀に人口が1億以下から4億人超えしたにもかかわらず、清の統治機構は税の徴収と犯罪に対する罰に終始(ウルトラ・チープ・ガバメント)したため、経済的インフラの整備がなされず、庶民の貧困や治安悪化を招き、ヨーロッパ列強・日本からの圧迫を招く結果となった等が印象に残る。

最後に

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清朝の中国・東アジア支配も単なる偶然・僥倖であったと結論づけているところが少々気になった点です。必然性は無かったのかも知れません。それにしても、少数民族による300年間もの中国支配というものは奇跡だけでは可能ではないと思うのですが、、、

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