『映画と恋とウッディ・アレン』の概要
映画監督、脚本家、短編作家、俳優、コメディアン、ミュージシャンなどさまざまな顔を持つウッディ・アレンの2014年製作のドキュメンタリー映画。新作映画の撮影現場やプライベートを含めた1年半に密着したほか、幼少時代や新聞やラジオ番組にジョークを提供するギャグライターとしてデビューした少年時代から、スタンダップコメディアンとして活動した60年代、その後40年以上にわたり年に1本のペースで新作を撮り続けている映画監督時代も含め、アレンの足跡を年代順にたどる。不朽の名作『アニー・ホール』や『ミッドナイト・イン・パリ』などの撮影エピソードを交えてたどる。
アレンが手がけた40本以上の映画・テレビ番組のフッテージも使用。また監督自身自身や、ダイアン・キートン、ペネロペ・クルス、ショーン・ペン、ナオミ・ワッツなど各作品のキャスト、関係者らの言葉を織り交ぜ、その創作過程を解き明かす。およそ30人以上の映画人がアレンについて語るインタビューも収録されており、監督の半生の映画作りの概要を知ることが出来ます。(190分)
ちなみに、もっとも影響を受けた映画監督として、2007年死去したスウェーデンの巨匠、イングマール・ベルイマン監督の名前を上げています。
『映画と恋とウッディ・アレン』のスタッフと出演者
ウッディ・アレン監督:ニューヨーク大学は中退してしまうものの、TVバラエティや舞台などで台本を手掛ける仕事にありつき、スタンダップ・コメディアンとしても活動する。1965年の「何かいいことないか子猫チャン」で脚本兼出演者として映画デビュー
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マーティン・スコセッシ監督:同じくニューヨークを舞台にした多くの名作があります。
ダイアン・キートン:アレン監督・主演の「スリーパー」(73)でヒロイン役を演じた。私生活でも恋人となったアレンのミューズとして活躍し、「アニー・ホール」(77)ではアカデミー主演女優賞を受賞する。
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スカーレット・ヨハンソン:ウッディ・アレン監督36本目となる作品『マッチポイント』でも、その魔性っぷりを発揮。ヨハンソン演じるノラは、ジョナサン・リース・マイヤーズ演じる主人公クリスの前に現れたかと思うと、クリスは結婚も間近な恋人のある身ながら、ノラの魅力に抗えずに不倫の世界に足を踏み入れてしまうという役どころ。ドキュメントの中では彼女はアレン監督映画作品を見て育ったと語り、監督の作品に出演出来る事が夢のようだと語っています。
ペネロペ・クルス:『それでも恋するバルセロナ』に出演
ナオミ・ワッツ:アンソニー・ホプキンス、アントニオ・バンデラスらと共演する『ロンドン協奏曲』
オーウェン・ウィルソン:
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『映画と恋とウッディ・アレン』のネタバレ感想
ウッディ・アレン監督のいくつかの作品は70年代後半わたしの大学時代、札幌の劇場で封切り映画を見た記憶が鮮明にあります。かれこれ40年前からの付き合いです。当時はビデオ、DVDなどもまだまだ普及していなかった時代で、旧作映画はいわゆる”名画座”といわれる小さな映画館で”リバイバル”上映を待つしかありませんでした。今はもう存在しませんが、札幌駅北口地下にあった”テアトル・ポー”にほぼ連日入り浸り!(オードリー・ヘップバーンの『マイ・フェア・レディ』もここで見て衝撃を受けました。蛇足)
本作品、『映画と恋とウッディ・アレン』は今回DVDで初めて視聴してみました。今まで、ウッディ・アレンの事を殆んど知らなかったなぁというのが第一印象です。この映画は懇切丁寧に彼の半生を描いており、ウッディ・アレンがどういう気持ちで映画を撮っているか良く分かります。
クラリネット奏者としても一流で公演に出演していることを初めて知りました。また、何度も離婚・結婚を繰り返しますが、最初の結構は18才の時という若さにも驚きでした。若い時から「人間はどうせ死ぬものだ」という強い概念を意識してました。この事が、映画作り・人生にも影を落としています。一方、大変なジョークの達人であり、一日に50個(簡単に)考え出し、一時期商売のネタにしていたそうです。「死」の不安をジョークで吹き飛ばしていたのかもしれません。
映画監督になる前は、コメディアンとして舞台に立ち自作のジョークを舞台で語り大人気を博していたと言います。その舞台公演の当時の映像が実に見ものでした!
監督としてのデビュー作品の題名が『何か良いことないか子猫ちゃん』です。その後の人生を暗示するような題名!?この映画では自分の思い通りに映画を作れなかったと述懐して、以降の映画作りでは、何とか自分の意思通りに作る条件で映画を撮るようになりました。
以後40年間1年に一本という超速ペースの映画作りを続けています。脚本のアイデアはどんどん浮かぶらしく、その脚本は生涯使い続けているドイツ製の手打ちのタイプライターで書き上げています。寝室の机の引き出しには書き溜めた脚本のアイデアが無造作に多数入れられていました。これはすべて宝物の様に見えました。
描き上げた脚本も役者に渡す時は「セリフは変えても構わない」と言って渡すそうです。また、決して傑作を作ろうという思い入れで一本、一本の映画を撮っている訳ではないと述べています。この言葉はある程度、知名度も高い監督だからこそ言える余裕の発言と思われます。また、批評家の批評文を一切読まないというのも興味を引かれました。アカデミー賞受賞式にも2回キャンセルしている程、世間の評価はまったく気にしていないところは本当に驚きです。
途中休憩を挟んで190分の長編ドキュメンタリー映画でしたが、非常に分かり易く且つ興味津々の内容であり、あっという間に時間が過ぎました。本編は、ウッディ・アレン監督をより良く理解する為の素晴らしい映画でした。
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