1988年の晩春、南京からバスに乗って安徽省黄山を訪れました。江西省廬山と同じく、安徽省黄山も中国山水画の世界そのままの中にいるような絶景を期待して行きました。
バスの乗車時間は南京から10時間余りでした。「地球の歩き方」の黄山への行き方で最も近い行き方が南京からのバス便の利用を勧めていました。当時は黄山には飛行場も無く、陸路バスで行くしかアクセスできなかったと思います。
車窓風景は典型的な安徽省の田園風景が広がっていました。他の省の田園風景と明らかに違うところは安徽省の家屋の真っ黒い小ぶりな屋根瓦、屋根の形状が他の地域と異なっています。屋根に載っているの両端の重量感のある鬼瓦が空に向かってそそり立っていました。
どんよりと曇り勝ちの天候と田園風景の中に佇む白い壁、黒い瓦屋根がしっとりと合致しており、田園風景は一枚の絵画の様な風景であった為、ずっと長いバスの旅の車窓から見とれていました。
あいにくの雨模様でしたが、登山口からひとりで登り始めると何人かの少年がガイドに雇えと執拗に後をぞろぞろついて来るので、ゆっくり景色を鑑賞することもままならず、登山の雰囲気は完全に打ち壊されました。
ガイド料を聞くと、それ程高く無いので、即、道案内役に一人雇う事に決めました。雇ったガイドはわたしの荷物も担いでくれました。途中現れる奇妙な岩峰・奇岩の数々、猿石、亀石、飛来石、何とか松とか色々解説し教えてくれるので非常に助かりました。また、登山道は分かれ道も有り、迷う箇所もありましたので、ガイドを雇ったことで全く迷うことなく登頂出来たので正解でした。
しばらくすると、今度は「サルノコシカケ(霊芝)」の売り子の激しい攻勢に悩まされました。「サルノコシカケ」という漢方薬の材料となる植物を抱え、売りつけようと何人もの物売りが、しつこく付きまとってきました。
売り手を振り払い登山道を登って行くと、今度は彼らは近道を登って先回りして待っています。かなり執念深く、私が根負けして買うまで追いかけてくる魂胆と見え、そのしつこさに辟易しました。「この前来た日本人は買っていった」「お前も買え、買え」言って全く離れ様としません。
「買え」は北京語では通常『你买(二―マイ)』と発音するのですが、安徽省の訛りで『二―メイ(你美)』=「お前はきれいだ」と聞こえるので、物売りの少年たちも愈々御世辞作戦できたのかと勘違いしましたが、どうやらまったく違った様です。
しかし、どんなに安くとも「サルノコシカケ」を煎じて飲むつもりはなかったので断っていると、とうとう山頂まで後をついて来て、山頂でもまた「買え」と言って来ました。
これでは黄山を登って、絶景を眺めに登ったのか、「サルノコシカケ」を売りつけられに来たのか全く分からなくなりました。ひと固まり、直径30センチはありそうな大物で、重そうな「サルノコシカケ」を買っても荷物になるだけです。また、買ったとしても帰りの通関を無事通れるかも分かりません。
さすがに下山時にはサルノコシカケは諦めたのか他の登山者にまんまと売りつける事が出来たのか、定かではありませんが、漸く姿が見えなくなりほっとしました。
また、下山後山麓の出口付近に温泉の看板があったので、汗と雨でびっしょり濡れた服を着替え、冷えた体を温めようと温泉に入ってみました。
しかし、これも名前は温泉とは名ばかりで、ちょろちょろ細く情けなく流れる低温シャワーで一向に体が温まらないばかりか、(日本でいう鉱泉・冷泉に近い)いくら待っても、肩まで浸かる様に湯船に湯はまったく貯まらず、諦めて出てきました。湯船はありましたが、中国人は湯につかる習慣がありません。その上、脱衣所にロッカーが無く、脱いだ衣服、大事な財布、パスポートを放置しておくと、盗まれる恐れがあり、身ぐるみ剥がれたらどうしようと気になってゆっくり湯船にも浸かる事が出来ませんでした。
「黄山に登った」とはいうものの、これほど最初から最後まで嫌な思いをさせられ続けた登山はこの山が最初で最後だと思います。現在はもう少し、気持ちよく登れる「黄山」に変っている事を期待します。
そぼ降る雨の中の登山、雨中の黄山も幻想的で素敵だという方もいらっしゃいますが、晴れた日に登る機会があれば、もう一度登ってみたいという気持ちもあります。
当時既にロープウェイがありましたが、訪問少し前にゴンドラの転落事故があったとかいう噂通り、運行は停止されていました。
なお、黄山の近くの西逓、宏村という美しい風景の古い村落も世界文化遺産に登録されている為、次回機会があれば是非黄山の再訪を兼ね訪問したいと考えています。新型コロナが収束するまでは暫く中国には行けそうにないので、暫く先の話になりそうです。
最近訪問した黄山から比較的近い名山投稿記事:
世界遺産 廬山国立公園と中国丹霞・龍虎山 現地観光バスツアー
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