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南湖大山、雪山そして玉山 台湾師範大生らと登った台湾の山

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旅の随筆
Y. C. LOによるPixabayからの画像
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わたしは会社から北京語研修生として1986年台北に派遣されました。入社4年目、会社で輸出の営業業務をバリバリこなし、もうすっかり学生気分は抜け切っていました。台湾では語学習得の為、1年間「国立台湾師範大学」に通う事になりました。台湾到着直後、『サラリーマン』から、何の抵抗感もなく、あっさりとまた学生気分に戻れることに、自分自身ちょっとした戸惑いを感じたものです。

 

大学で2時間、私塾で4時間の一日6時間勉強をこなせば、後は自由時間です。土日も自由だった為、会社入社以来一時めり込んでいた趣味の『山登り』を継続する為、師範大学の山岳部の門戸を叩きました。

 

まだ北京語がほとんどしゃべれないうちに、拙い英語と身振り手振りで、「台湾の高い有名な山に登りたい」と意思だけは伝える事が出来た様です。何しろ「上」と「下」の発音の区別すら聞いてもまだ良く分からず、大変苦労していた当時です。

 

また、学生同士の会話を聞いていると先輩・後輩の区別がほとんど分からず、名前はお互いに呼び捨てか、愛称で呼び合っているので、クラブ活動・体育会でどっぷり10年間過ごしたわたしの経験した「組織」(1学年違えば大変なこと)との大きな違いをまず感じました。

 

暫くすると、なんと『南湖大山』(標高3742㍍)へ同行させてもらえることになりました。当時、山名はわかるものの、台湾では山岳ガイドブックの有無も分からず、また、どのようなルートで登るのかも分からず、とにかく学生らの進む後を遅れずに必死に着いて行くという状態で登りました。

 

また、しっかりした登山靴を履いているのはわたしだけで、彼らは運動靴(ズック)で3000㍍超の山頂を目指していたのは驚きでした。

 

一泊目は台湾東部出身の学生のご自宅にメンバー7,8名が投宿、その後バスで何時間か山中に分け入り、山中山小屋とテントに1泊づつし、かなり長いアプローチの末、漸く山頂に到達しました。台湾は狭い国土に260座強の3000㍍級の山が存在すると言われています。この『南湖大山』の雄大さ・美しい笹に覆われた稜線は日本の山々をはるかに凌ぐ大迫力を感じました。好天にも恵まれ気持ちの良い登山を愉しむことが出来ました。

 

その一か月後くらいだったと思いますが、2番目は台湾第二の高峰『雪山』(標高3886㍍)に挑戦する機会が訪れました。

 

当時、これまた『雪山』が一体台湾のどこにあるのか知らないまま、またも学生らに連れられて登りました。しかも、師範大学には香港出身の学生も多く留学してきており、今回のパーティーに数名、登山初心者のミーハースタイルの香港人女性が多数参加していたのには驚きました。

 

一泊目は山麓の小学校の教室を宿舎代わりに借りました。師範大学の学生は将来、学校の教師候補生なので、わたしの想像ですが、小中学校の校舎を宿舎代わりに利用することを、優先的に許されていたのかも知れません。

 

途中テント泊でしたが、大雨の中、ずぶ濡れになり強風との闘いでした。頂上直下で、吹き止まぬ強風により、山頂付近は危険だというリーダーの勇気ある判断で、残念ながら翌朝撤退を余儀なくされました。

 

結局師範大学の学生らとは、僅か、この2山の山行に同行したのみで、それ以降は学業が忙しくなり、参加しなかったのは今となっては大変悔いを残したなと感じています。

 

最後の『玉山』(台湾最高峰 標高3952㍍)は日本人留学生数名でメンバーを編成、台湾山岳協会に登山申請を提出し、正式に受理され登ることが出来た山です。

 

当時、申請書はそれ程厳密に審査されたわけではなく、いくらだったか失念しましたが、登山申請料を支払い、登山メンバー詳細を記入すれば、問題なく許可されたのではないかと思います。なお、許可されると台湾山岳協会所属のボランティア登山ガイド(蔡老師)に一名同行してもらえたので、心の支えになる存在で大変助かり、感謝しています。

 

ただし、登山隊の名前を記入する際、直前に台湾に来襲し猛威を振るった大型台風『サロマ』の名前を借用し『日本サロマ隊』と記したところ、大きく棒線で消され『日本留学生登山隊』と書き直されていました。メンバーにはわたし以外にも登山経験者がいましたが、わたしを含め全員4000㍍近い山に登る経験は当然無く、一抹の不安はありましたが、何とかなるだろうという極めて楽観的な気持ちで出発しました。

 

玉山登山口にある麓の旅館に一泊し、警察(『駐在所』)に登山計画書を提出すると、そこの係員に驚くほど美味しい「お茶」を御馳走して頂きました。烏龍茶だったと思いますが、茶葉・水共に最高の組み合わせだったのかもしれません。今まで飲んだ烏龍茶の中のでは最高の味わいがあったのを忘れられません。烏龍茶は標高の高い場所で、霧が多く日照時間の短い地域の茶葉が一番美味しいと言われていましたが、正に絶品でした。しかも『駐在所』で味わった余韻の残るお茶です...

 

2日目は頂上直下の『排雲山荘』に一泊し、翌日山頂を極めて戻るという一般ルートでした。
やはり高所に余り慣れていないメンバーは夜中頭痛に悩まされ、何度もトイレに立ち十分熟睡できなかった人もいました。また、気圧の関係で何となく、朝起きると顔がパンパンに浮腫んでしまった人もいました。一方、逆に高所の為気分が高揚し、(これはわたしではありません)、自然に出てしまったのか『ヤッホー』と叫びながら足取り軽く登っていく野人の様な人もいました。人それぞれ、高所順応は千差万別でした。

 

玉山の標高は3998㍍と言われていた時期もあり、山頂に立って手を頭の上に伸ばせば、そこは4000㍍だと喜んだものです。後で気が付くと標高はいつの間にか3952㍍に修正されていたのには驚きました。サバを読むにも50㍍背伸びしていた事になります。今思えば、スーパーの安売りに使われる値付け3,998円みたいな感じもしなくもないです。いずれにせよ、富士山よりは高いのですから、立派なものです。

 

その後、阿里山の森林鉄道経由台北に戻りました。

 

なお、登ったのは30年以上前なので残念ながら詳しい行程などの詳細は記録しておらず、余り参考にならないかも知れません。台湾の山の雰囲気だけでも、少しだけ感じて頂ければと思います。

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