これは30年以上前です。花の百名山でもある東北「栗駒山」に登りました。宮城・岩手・秋田の県境にある標高1627㍍の山です。奥羽山脈のほぼ中央に位置する独立峰で遮るものが無く展望は360度と雄大です。登山道は、往復3,4時間程度の程よい山歩きを楽しむことが出来ました。
入社3,4年目の頃、当時は体力が有り余っていたので、ふだんは北アルプス、八ヶ岳などを中心に尾根歩き、沢、初級の雪山など、テント持参での山行を繰り返していました。栗駒山はもともと若手女性だけのグループ4,5名で山行計画が立てられていましたが、万一に備えて、男性もいた方がいいのではないかと声を掛けて貰ったのか、或は女性の仲間に入れてもらおうと押し掛けたのか良く覚えていませんが、男2名が急遽加わることになりました。
登山後、温湯温泉の老舗佐藤旅館に泊まりました。(当時は「日本秘湯を守る会」の会員メンバーである事は全く知りませんでした)山行計画、宿泊旅館選定・予約は女性にすべてお任せしていました。
温泉で山の汗をゆっくり流し、広間で夕食、その後女性陣の部屋にみんなで集まり、持ち寄ったお酒などを飲みながら、しばらく歓談しました。やがて、夜も更け、われわれ男2名も自分達の部屋に戻る事になりました。
部屋に戻る途中ひとりトイレに立ち寄り、いざ、自分の部屋に戻ろうとしたところ、不覚にも、自分の部屋がどこだったのか覚えていない事に気が付きました。チェックインした時に登山ザックは部屋に置いた記憶がありますが、部屋番号は聞いていなかったのです。一緒だったAは一足先に、ひとりで部屋に戻り寝てしまった様子でした。
二階建ての宿は、昭和初期のものと思われ、長い板廊下が走り外側にはガラス戸があります。部屋との境は白い障子がずらりと並んでいました。典型的な「はたご」の旧式旅館でした。
薄暗い廊下に、Aが先に戻っていればスリッパが障子の前にあるだろうとあちこち探しましたが、結局スリッパは見当たりませんでした。スリッパはあっても二足ある部屋は他の客の部屋のはずです。
眠気と、山の冷え込みもつのり、少し酔いも回っていた事もあり、また、廊下で寝るわけにも行かず、仕方なく、あてずっぽうに適当な部屋の障子を開けました。
すると、布団が2組きれいに敷いてありました。なんだここだったのかと安心しました。先に帰って寝ているはずのAの姿がないのは、多少気になりましたが、その内、戻って来るだろうと一つの布団に入り込み寝てしまいました。
ところが、夜半、突然目が覚め上を見ると、枕元でわたしを覗いている顔がありました。初めAかと思いましたが、よくよく見るとAとはまったく違う別人だったのでびっくりしました。わたしは、心の片隅で、この部屋が自分の部屋である100%の確信がなかったことから、この部屋に本来泊まっている人が戻って来たものと思い、飛び起き、部屋を間違えた事を平謝りし、慌てて部屋を飛び出しました。
とうとう、まったく行く場所が無くなりました。思いついたのが、寝る前まで一緒にいた女性陣の部屋に戻り、自分の部屋はどこか聞きだそうと考えました。
小宴会がお開きになってから、どの位時間が経過したか定かではありませんが、女性陣はぐっすり熟睡している様子でした。障子をそっと開け、入り込み一番手前にいた女性を起こすと「ぎゃあー」と叫ばれました。「何時だと思っているのよ、早く帰りなさいよぁ〜」と叩き出されそうになるのを制止し、「申し訳ないが、部屋が分からないので、(布団の)押し入れでも良いので寝かせて欲しい」と頼むと「ふざけてないで、さっさと出ていきなさいよ〜」と追い出されました。まさか、夜這いに来たかと勘違いされたのではないと思いますが。しかし、一方で、やはり女性はこれくらい強く無ければならないとも妙に感心しました。
山中のテントでは、寝袋に入るので、男女雑魚寝のケースも多々経験していました。山ガール(当時はそんな名前ではありませんでした)に、「しょうがないわね、部屋の隅で寝てなさい」と優しく言ってくれることを期待していたのですが、和風旅館の中では、勝手が違い、まったく相手にしてくれませんでした。
さすがに、この時は完全に途方に暮れてしまいました。寝るところがありません!
睡魔には勝てず、考え出したのが、「先ほど、わたしが間違えて寝ていた部屋の本来の住人は確か一人で戻って来たはず。それならば、二組あった布団の隣の布団に寝かせてもらうよう頼んでみよう」という大胆不敵な考えでした。そして、少しばかりの勇気を出して、寝ていた元の部屋に戻りました。
すると、その部屋には不思議な事、先ほどわたしの顔を覗き込んでいた人はいませんでした。狐につままれた様な気がしましたが、眠けには勝てず、元寝ていた布団に入り朝まで寝てしまいました。
翌朝、朝食の会場に行くとAが現れ「昨夜はどこに行っていた? 心配していた」と言われました。
一応、昨夜の一部始終を話しましたが、かなり呆れた顔をされたような気がします。
また、最近冗談交じりに家族に当時の昔話として聞かせましたが、「馬鹿だねぇ」と一笑されました。それにしても、昔の「はたご」には鍵も無ければ、プライバシーも無かったのでしょうか!?
さらに、夜中にわたしの顔をのぞい方が一体誰だったのか少し気になりました。
この佐藤旅館は暫く休業されていましたが、昨年11月営業再開(日帰り入浴のみ)というニュースがありました。懐かしくもありますが、わたしの間抜け振りの為、個人的には余り良い印象が残っていないのが少々残念です。
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