クリストファー・ノーラン『オデュッセイア』― 10年という罰を受けて、男はようやく家に帰れた
上映時間172分。エンドロールが終わっても、私はしばらく席を立てなかった。
トロイを落とした英雄オデュッセウス。海路なら2週間で帰れるはずのイタケまで、なぜ10年もかかったのか。ホメロスの叙事詩は古来「神々の気まぐれ」として語られてきた。だがノーランは違う答えを出した。これは罰の10年だったのだ、と。
本作品の4つの見どころをご紹介
興行という熱狂 ― 私たちはなぜIMAXに殺到するのか
製作費2.5億ドル、全世界で16億ドルを超える怪物ヒット。R指定映画歴代1位、IMAX歴代1位。数字はもはやお祭り状況。
日本でも9月4日のIMAX先行上映から異常だった。3日間で1億1500万。私が観た連休中の回も、初回から満席に近く、上映開始からポップコーンに手を伸ばす人がいたのだろうか。波の音と、船の軋む音だけが劇場を満たした。
全編IMAXフィルム撮影。フィルムの粒子が、海のしょっぱさまで伝えてくる。海の波濤で劇場内の椅子まで震わせていた。これは家では観られない。だからみんな劇場に来るのだ、と納得した。
豪華すぎる顔ぶれが、なぜか痛々しい
マット・デイモンのオデュッセウスは、私の知るヒーローと違う。強い。だが、目の奥がずっと疲れている。
妻ペネロペを演じるアン・ハサウェイは、20年待ち続ける女の気品と痩せ我慢を、台詞ではなく背中で見せる。息子テレマコスのトム・ホランドは、父を知らないまま大人になった少年の不安を抱えている。
そして求婚者の筆頭、アンティノオス(ロバート・パティンソン)の憎たらしさ。知恵の女神アテナ(ゼンデイヤ)の謎めいた冷たい美しさ。7年も男を引き留めるニンフ、カリュプソ(シャーリーズ・セロン)の妖艶な孤独。魔女キルケー(サマンサ・モートン)の哀しさ。
全員主役級なのに、誰一人として「英雄」として輝かせない。皆、何かを失った敗者の顔をしている。そこが映画に奥深い味わいを出している。
魔物はこうして生まれた ― 作り物なのに、なぜこんなに怖いのか
一つ目の巨人キュクロプスが出てきた時、私は思わず息を止めた。
10メートルを超える実物大のパペットを、ギリシャの本物の洞窟に運び入れ、上からロープで操る。時にはノーラン自身がロープを引いていたという。顔は特殊メイクのビル・アーウィン。兵士を掴む手はアニマトロニクス。CGで表情を少し足してはいるが、そこにいるのは「作り物」ではなく「生き物」だった。兵士を次々にとらえてむしゃむしゃと食べまくるシーンに唖然。
銀の鎧の巨人族は、恐ろしく強い。身長210cmの男たちと150cm以下のスタントの遠近法を利用している。海の大渦カリュブディスは、実際にボート3隻で渦を作って撮影した素材が元。6つの首を持つスキュラは、兵士を咥える実物大の頭部を作っている。
魔女キルケーに豚に変えられる兵士たち。腹を空かせて貪るように食べる姿が、だんだん豚そのものになっていく。特殊メイクのダミーヘッドが、目の前でぶよぶよと変形する。CGなら一瞬なのに、わざわざ実物でやる。その不器用さが、逆に残酷で、人間が豚にされる恐怖が実に生々しい。
35メートルの本物の船を外洋に出し、時速111キロの暴風の中で撮る。だから波の揺れに、役者の恐怖が混ざる。IMAXで観ると酔う、というのは本当だ。でもその船酔いすら、オデュッセウスの10年を追体験している気がした。
そして乞食として帰る ― ホメロスが言いたかったこと
この映画で私が一番泣いたのは、怪物でも魔女でもない。ボロ布をまとい、髭を伸ばし、乞食同然で自分の家に忍び込むオデュッセウスの姿だ。
王宮では求婚者たちが毎晩宴会。かつて自分が座っていた玉座で、他人が笑っている。妻は目の前にいるのに、声をかけられない。頼れるのは盲目の豚飼いと、もう目も見えない老犬アルゴスだけ。
ホメロスは何度も書く。「耐え忍べ、我が心よ」と。
ノーランは冒頭で、原典にはない残酷な場面を足した。トロイの木馬に兵士を潜ませるため、貧しい若者シノンを犠牲にする。そしてそのシノンが、冥府で亡霊となってオデュッセウスの前に現れる。「お前の罪だ」と。
10年は神の意地悪ではない。自分が犯した罪から逃げられない男の、自罰の旅だったのだ。
だからこそ、故郷で乞食になる必要があった。鎧も、王冠も、英雄という名も、全部脱ぎ捨てて、ただの何もない男として帰らなければ、彼は自分の家に入れなかった。
最後、弓を取る場面。10年の屈辱と、乞食の惨めさを知っている私たちは、そこで初めて心の底から「やれ」と思う。そして誰も引くことが出来ない弓矢を見事に使いこなし、今まで好き勝手放題に振舞ってきた求婚者たちの前で彼がオデュッセウスであることを明かす。そして、矢で射殺していきます。これは復讐ではない。帰還だ。
日本の任侠映画で、高倉健がずっと我慢して最後にドスを抜く、あのカタルシスに近い、と誰かが書いていた。まさにそうだ。耐えて、耐えて、耐え抜いた男だけが許される一撃。
エンドロールで、私はホメロスという名もない詩人たちが、3000年前から同じことを歌ってきたのだと気づいた。人は誰でも、何かを壊してしまい、遠回りをして、ボロボロになって帰る。オデュッセイアは、私たちの物語だった。
オデュッセウスが背負った木馬は、オッペンハイマーが背負った原爆と同じだ。二人とも、世界を終わらせる天才的なアイデアを思いついてしまった罰として、永遠に家には帰れない。
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