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『パーフェクト・ネイバー』はなぜ防げなかったのか – ボディカムが映した“中立”の代償

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Netflix『パーフェクト・ネイバー:正当防衛法はどこへ向かうのか』を観た。観終わった後、しばらく動けなかった。後味が悪い、の一言では足りない。
舞台はフロリダ州オカラ。白人の初老女性スーザン・ロリンスと、向かいに住む4人の子を持つ黒人ママ、AJ・オーウェンズ。2年間続いた「子供がうるさい」という通報の果てに、スーザンが閉まったドア越しにAJを撃ち殺す。映像はほぼ全て警官のボディカムと通報音声だけ。ナレーションもBGMもない。
この映画が残酷なのは、観客に決定的な情報が一切与えられない点にある。

映画の中で一切見えていない二つの部分

一つ目は、子供たちの“騒ぎ”の実態だ。スーザンは「子供が敷地に入り、物を投げ、殺すと脅された」と主張する。だが、映画の中に子供が騒ぎ回る映像はない。ボディカムが到着した時には、子供たちは静かに立ち尽くしているだけだ。おもちゃは散らかっていたのか、フットボールはどれほどの音だったのか、第三者の客観的な視点もTVカメラもない。観る側は、スーザンの被害妄想なのか、実際に喧騒が度を超えていたのかを判断できないまま置いていかれる。
二つ目は、発砲の瞬間そのものだ。ドアに窓はない。スーザンは「ドアを激しく叩かれ、命の危険を感じて撃った」と言う。子供たちは「ママは話しに行っただけ」と言う。目撃者はいない。残るのは閉まったドアの銃痕だけだ。裁判ではここが最大の争点になった。逮捕報告書によると、スーザンは事件の約1年前にAJとのトラブルをきっかけにハンドガン2丁を合法的に購入し、事件前後にはフロリダのスタンド・ユア・グラウンド法をネット検索していたことも自ら認めている。「とっさの恐怖」なのか「守られるという認識の上での準備」だったのか。どちらかは永遠に分からない。
だからこそ、この事件の判決は重い。陪審は正当防衛を認めず、過失致死で禁錮25年。計画的殺人ではないが、正当防衛でもないという、法が苦し紛れに出した中間の答えだ。
普通のドキュメンタリーなら、近所の人にインタビューして「あの子たちはいつも静かでしたよ」とか「いや結構うるさかったですよ」って証言を入れて、監督の主張したい方向に誘導するものだ。でも監督はそれを一切やらなかった。ボディカムと通報音声だけ。つまり、裁判所に提出されたものと同じレベルの情報しか私たちにも渡してくれない。
結果として、陪審員と同じ視点に立たされる。陪審は最終的に「閉まったドア越しに撃つのは、合理的な恐怖とは言えない」として過失致死(manslaughter)で有罪にした。25年という刑は、「完全な計画的殺人ではないが、正当防衛でもない」という、その中間の苦しい判断の結果だと思われる。視聴者としては正当防衛が認められなくてほっとしたが・・・

本来あるべき連携の流れ

そして最も胸が詰まるのが、警察の対応だ。来る警官は皆、驚くほど紳士的だ。罵倒されても怒鳴り返さず「穏便に」と仲裁する。そのプロ意識は本物だ。
しかし、2年間で10回以上の通報を受けながら、やっていることは毎回同じ「注意」で終わる。ここにアメリカの縦割り行政の大きな穴がある。
本来なら、こう繋がるべきだったはずだ。
通報を受ける保安官 → ①市のコミュニティ調停センターが両者をテーブルにつける → ②問題がエスカレートしていれば、メンタルヘルスやソーシャルワーカーがスーザンの孤立や被害感をケアする → ③児童福祉やスクールカウンセラーが子供たちの遊び場を公園や学童に確保する → ④それでも危険があれば、接近禁止命令や一時的な住居移転支援へ。
警察は法執行機関であり、福祉機関ではない。明確な犯罪がなければ逮捕できない。だからシステム上は「何も起きていない」ことになる。誰もバトンを渡さないから、2年間、同じ場所で同じボディカム映像が永遠に繰り返されることになる。そして最後に一発の銃声で終わる。
どちらが正しいか分からないからこそ、この事件は他人事じゃない。正当防衛という言葉が、人を守る盾ではなく、撃つための免罪符として頭の中にあったらどうなるか。日本でも隣人トラブルは他人事ではない。我々の住む住宅街でも、同じような通報は今日もどこかで起きている。
観る方が試される、しんどい一本。だが、ボディカムという小さなカメラが、アメリカの大きな歪みを映し出したという点で、アメリカ映画の凄さを思い知らされた。

ジータ・ガンドビールの凄さ

ジータ・ガンドビール監督は、元々社会問題系のドキュメンタリーをずっと撮ってきた人らしい、今回Netflixがその手法をそのまま世に出したのもすごいこと。普通は「もっと分かりやすくして」ってなるのではないか。

彼の手法である、ありのままの記録だけ見せて「じゃあ、どこでこの事件は止められた?」って観る側に聞いてくる。だから観終わった後に後味が悪いし、25年で終わりじゃないモヤモヤが残る。
実際、評価されてるのもそこだろう。去年のCritics Choice Documentary Awards(=アメリカの批評家が選ぶドキュメンタリー版のアカデミー賞前哨戦)で5冠取って、オスカーにもノミネートされた理由が「個人の事件を社会の構造として描いた」ところだ。個人の憎悪、銃の手軽さ、正当防衛法の拡大解釈、警察が福祉につなげない縦割り行政のまずさ。その全部が重なった時に、ドア一枚隔てたところで人が死ぬっていう、アメリカの今そのものをきっちり映し出し視聴者に迫ってくる手法は恐ろしくえぐい・・・

 

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