

1987年12月わたしは重慶から3泊4日のフェリーに乗り武漢までの船旅をしました。船中3泊です。食事も朝昼晩とも船中レストランで食べ、シャワー・トイレ付の個室、一等席の当時としては飛んでもない「超豪華」な船旅でした。
しかも料金は大人100元(≒4,000円 当時のレート換算)という今では信じられない超格安値段でした。この乗船券は重慶のチケット売り場で並んで購入しようとしたところ、いつもの様に窓口では「売り切れだ。もう明日のチケットは無い」と一旦断られ、もの凄く落胆している所へ、見知らぬ中国人女性が突然歩み寄って来て、「武漢行きの乗船券を買わないか?」と話し掛けられました。しかも元々一等100元の席を、そのまま100元で売ると持ち掛けてきました。話が上手過ぎるので偽物の乗船券ではないかと半信半疑でしたが、他に選択肢の余地が無く迷わず購入しました。
当時、重慶の港は広い長江の川中の砂浜(洲)まで長い階段を下り、この洲を歩き船のデッキにたどり付きます。そのデッキを登りフェリーに乗り込むというかなり素朴な乗船場の風景が展開されていました。長江は川底がたいへん深い為、何万トン?という巨大な船も遡上可能と聞きました。当日乗船したフェリーは200名~300名位は乗れる大きな船だったと思います。何トンの船だかよく覚えていません。現在では三峡ダムが建設されて、大型船の遡上は大幅に制限されているのかもしれません。
当日、フェリーが接岸している中洲一帯は黒山の人だかりでした。蟻の様に蠢く多くの人足が天秤棒一本を担ぎ、行き交っていました。船からの積み荷の物資を担ぎ上げたり、下ろしたりするたいへんな重労働に従事している人々の群れでした。
いったいどんな荷物を積み下ろし、してるのかっきりわかりませんが、麻袋に入った穀物だったかもしれません。フェリーの乗客の荷物も担いでくれる「赤帽」もいました。出港間近のフェリーに乗船する乗客は汽笛に急かせられながら、慌てて次から次へと船に吸い込まれて行きました。
出港時刻は夜半でした。重慶の街も当時は外灯もほとんど点らず真っ暗闇です。出港後まもなく、 フェリーが最初に停泊したのは下流にある万県という小さな港町でした。現在は重慶から高速道路も開通しており、もはや長江利用による川運は人の移動手段としては余り利用されていないと思われます。
停泊中下船し、港で見た風景が印象的でした。大きな手作りの竹籠に入ったみかんを売っている若い女性らの姿でした。一籠買いました。値段も驚く程安かったのを覚えています。それとみかん売りの女性の顔がみんな真ん丸で、リンゴの様な真っ赤なほっぺをしていました。
12月の重慶は相当に寒く、防寒の綿入れの服で着ぶくれし、顔も体も真ん丸。
私は2017年30年振りに万県を再び訪問しました。長江の滔々した流れは少しも変わりませんでした。でも、もう真ん丸顔でリンゴの様な真っ赤頬をした女性のみかん売りの姿は見かけませんでした。地名が昔の万県から万州と変わっていました。長江沿いの絶壁に張り付いた様な小さな「小村」が、現在は大きな都市に変貌を遂げていたのには驚きました。
なぜ3泊4日ものフェリーの旅をしたかというと、当時、長江は三峡ダムが建設着工される以前で、「長江の三峡下り」という絶景の渓谷美を堪能する船旅が長江観光の目玉として大変人気がありました。
しかもこの三峡下りの最深部の景勝地は「野人」が住むと言われる原始の森林(現在世界遺産にも指定されている湖北省西部の『神農架』の一部が含まれる)に囲まれている為、前人未到のジャングルが障害となり、陸路で辿り着く事はほぼ困難でした。長江の船下りを利用するしか、この絶景を眼にする事はできないと言われていました。
乗った船は観光船ではなく、一部を庶民の交通の脚としても使われる船であったろうと思われます。ある時、一般船室の椅子に座っていると足元の竹籠の中からくちばしを伸ばして、ツンツンとわたしの足を突っつく鳥がいました。一羽のアヒルが買われて鳥かごに入れられていました。三峡下りで偶然の出会いでしたが、何か必死に語りかけているようでもありました…
船は観光スポットを航行中も、全くそれらしい船内アナウンスは一切ありませんでした。予め服務員に絶景スポットに到達したら教えて欲しいと一言言って置けばよかったのかもしれません。 私は出港後の翌朝、こともあろうに寝過ごしてしまい、せっかくの絶景の目玉スポットの大半を見過ごしてしまうという大失態を犯してしまいました。
気が付いた時はもう瞿塘(くとう)峡などの主要なスポット地点はだいぶ前に通過していました。勿論わたしが起きてからも、奇岩、絶壁の集中する地域を船はかなり慎重に通過していました。川底からせりあがる大きな奇岩・岩峰が顔を覗かせている本当に恐ろしい難所の連続でした。慎重に航行してはいるものの、岩に激突すれば一巻の終わり、タイタニック号の二の舞です。 デッキに出て風に当たっていると、やはり寒いので暫くするとまた部屋に戻り、窓から景色を眺める事になります。それでも船窓からの景色では飽き足らず、何度も部屋から出たり入ったりを繰り返しました。何時間か経過し、ようやく核心部を通過してしまうとまた変化のない両岸の風景が続き、さすがにだんだん飽きてしまいました。
フェリーも両岸絶壁が続く、細い水路を航行している為細心の注意を払いゆっくり航行していました。この区間は夜間通過するのは困難です。この区間は昼間の明るい時間帯に通過出来る様、あらかじめ通過時間帯を調整して運行しているのだと思いました。その為、重慶を出港したのは真夜中だったのだと思います。日中でも濃霧がたれ込めており、視界が非常に悪く速度をかなり落とし航行します。
次の日も船内で過ごしたり、甲板に出て風景を眺めたり時間を潰します。 両岸の景色は
片方(右手)の岸は見えていますが、もう既に反対側の岸は見えないくらい、川幅がいつの間にか広がっていました。
3泊4日の船旅で、2日目までは絶景で息を呑むような素晴らしさ景色が続いていました。しかし、3日目以降はずっと同じ川岸の風景をぼんやり見ているだけなので、正直相当に飽きます。また、朝昼晩毎日三度呼びに来る食事の時間に呼ばれても、食事を取る事がだんだん苦痛になって来ました。当然三食とも中華料理です。一度だけ万県に停泊したもののそれ以降まったく港町に停泊する気配がありませんでした。もしかしたら、夜間にどこかに停泊したのかもしれませんが、わたしはぐっすり寝ているので気が付きませんでした。
※ 三峡とは、長江(揚子江)が四川・湖北両省の境にある巫山(ふざん)山脈を浸食してつくった長さ204キロメートルに及ぶ大峡谷。その中の瞿塘(くとう)峡・巫峡(ふきょう)・西陵峡の三つの険しい峡谷の総称が三峡。長江沿いには三国誌の舞台となった遺跡や寺廟が点在し、長江沿岸の風光明媚な景色、断崖絶壁の絶景を楽しみながら最終目的地武漢までくだります。
武漢の漢口という港にやっと到着して下船した時はさすがに達成感というよりもどんよりした疲労感だけが残っていていました。その後、武漢からは南京へは飛行機で飛ぶことにしました。この時も南京行きの席は空港のチケット販売窓口では無いと断られましたが、そこでもまたしても、たまたま南京から出張で武漢に来ていた親切な中国人ビジネスマンが窓口に現れ、係員と交渉してくれたところ、売り切れで無かったはずの座席が突如出てくるという経験をしました。
このような経験が重なり、窓口で一度無いと断られても決してあきらめてはいけない、中国ではコネや交渉能力次第で何とかなる国であること学び、決して諦めてはいけない教訓を身をもって習得することが出来ました。
2009年に三峡ダムが完成していますが、長江三峡下りのツアー参加は現在でも可能です。三峡ダムが建設されたお蔭で長江の水位が70‐110㍍も上昇して景観も大分変わり、数百万人という人々が移転を強いられ、ふるさとを失ったといいます。
今回の船旅は唐の李白他の詩人たちがまったく同じ航路を辿り有名な詩を残している場所でもあり、日本人にもよく知られています。もし機会があれば、訪れることをおすすめします。
湖北省、重慶の世界遺産関連投稿記事⇩



コメント