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ヒマラヤ・トレッキングの思い出 ポカラからアンナプルナを望む

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旅の随筆
Alexander-designによるPixabayからの画像
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カトマンズの街
この大荷物はわれわれのものではありません!
レストラン!!
この子が教科書を広げて読んでくれました
アンナプルナ
アンナプルナ とても美しいですが、登ろうという気持ちが湧きません
頂上付近は悪天候!?

1985年1月、日本発のネパールのトレッキングツアーに参加しました。この季節はヒマラヤの天候が、一年で一番安定する時期だと聞いて、思い切って行ってみました。

タイ・バンコック経由ネパールのカトマンズに入り、翌日ポカラまでは、われわれのツアーでチャーターしたはずの4輪駆動車で向かいました。チャーターしたはずという意味はポカラ出発間際になると見知らぬネパール人がぞろぞろ荷物を抱え勝手に押し寄せ、車に次々と飛び乗って来たからです。運転手も嫌がる素振りをまったく見せません。要領を得えない状況に少々戸惑いましたが、まぁこんなものかと。席を分け合い狭苦しい車内でじっと我慢しました。

本来であれば、カトマンズ―ポカラ間は運が良ければ、飛行機の座席も取れ、時間短縮になったのですが、残念なからチケットが入手できず、車での移動となりました。

カトマンズ―ポカラは直線距離にして140㌔です。曲がりくねった山路の悪路を行く為、200㌔くらいあったようです。なお、ポカラの標高は800㍍で、カトマンズより意外なことに、600㍍も低い場所にありました。

カトマンズでは、立派な一流ホテルに宿泊できましたが、ポカラへの到着が予定以上にかなり遅れた事、また、夜間、山道をこれ以上進むことは危険だという判断で、途中、小村の民家の物置に近いバラック小屋に泊まりました。ここでも、文句ひとつ言わず、ネパールではこんなものかと思いました。松尾芭蕉の<蚤虱馬の尿する枕もと>という有名な句を思い出してしまいそうな寝床でした。

翌日、ポカラに無事到着。車から降りると現地のガイドと荷物運びのポーターらを紹介され、愈々山道に分け入りました。勿論、山道と言っても日本の『登山』と全く異なり、われわれ歩く道はネパール現地人が日常生活の為に使う“みち”です。その道を標高3〜4000㍍まで数日掛けて歩いて行くものです。道沿いに小集落が次々現れ、ドミトリーのような簡易宿泊の施設の看板(英語)なども結構目に尽きました。

ポーターが、われわれのザック、テント一式、人数分の食料を全部運び上げてくれるので、われわれはほとんど手ぶらで登ることになります。また、彼らは力も強いし、脚力もあり、常にパーティーよりかなり早く、目的地に先に到着し、テントの設営・食事を準備万端に整えて待っていてくれます。

われわれトレッカーは登山靴を履いていましたが、ポーターは全員裸足でした。また、寝るときはテントを使用せず、地面に敷布ののようなもの一枚、毛布一枚という極めてシンプルなスタイルでした。寝ているところを、一体どんな足の裏をしているか、毛布から出ている足を興味津々で観察しました。足の裏から厚み1㌢位は、恐ろしい事に堅く角質化しており、ひび割れの隙間には小石が詰まっていました。足の裏が我々の登山靴のゴムの靴底に変質していました。これで登山靴が要らない訳が分かりました。

また、体力・脚力の秘密はやはり旺盛な食欲にありました。山盛りのご飯にカレーを掛け、口にする前に右手の手指でかなり丁寧に混ぜ、2〜3皿ぺろりと平らげていました。

宿泊地は欧米人のグループも多く、その中にはポーターに重そうな木製のテーブル・イス一式まで担ぎ上げさせていました。キャンプ地でテーブル・クロスを敷き、ナイフ・フォークの正統派の食事するつもりなのかも知れません。

また、われわれが日本人と分かると、通りすがりの血相を変えたドイツ人から、『わ・か・も・と〜〜』と絶叫され驚きました。どうやら大変な下痢で、日本製下痢止め薬が欲しかった様です。ネパール現地の下痢に対しては、自国ドイツの薬より、日本の下痢止めが有効なのを知っていたのかもしれません。その時は、一瞬何を言われているか、理解出来ませんでしたが、とにかく恐ろしい形相でした。その後、われわれも、次々に彼の形相に納得する事態に見舞われることになりました。

ポカラからは、地元民に崇拝されているマチャプチャレ(標高6993m)という素晴らしい形の山を間近に臨む事が出来ます。ポカラのシンボル的な山です。山の形状通り「魚のしっぽ」という意味だそうです。

8000㍍を越える山としては眼前にとても美しいアンナプルナ1峰〜4峰(主峰は8091m、)が聳えています。アンナプルナはサンスクリット語で「豊穣の女神」という意味だそうです。遥か彼方には ダウラギリ(8167m)、マナスル(8163m)を遠望する事が出来ました。

ここからは残念ながらエベレストは見えません。

ヒマラヤの山々は「神々の座」と言われています。光り輝く氷に覆われた山肌、筆舌し難い荘厳さ、美しさに本当に感銘を受けました。これだけは実際に現地で見てみない事には実感できません。また、見上げると空の青さは限りなく宇宙の色(?)に近く、青よりももっと暗い、吸い込まれてしまいそうな群青色だったのが印象的でした。

圧倒される景観を眺めながらの、素敵なトレッキングですが、足元には昔から連綿と続くネパール人の生活があります。

1月ですが、ネパールでは春めいた温暖な季節の為、菜の花が咲き始めていました。また、小学1年生くらいの学校に通い始めて愉しくてしょうがないといった感じの女の子が近寄って来て、学校で支給(多分何年も回し読みされている様で、ボロボロ)された“教科書”を広げ、わたしに読み聞かせようとしてくれました。

わずかなトレッキングの時間でしたが、ヒマラヤの山の景色と、自然に溶け込んで行きㇽネパール人の生活の一部を垣間見る事の出来る、非常に貴重な有意義な旅となりました。ヒマラヤを訪問したという記憶はわたしの永遠の財産になっています。

 

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