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北京の自転車と北京烤鸭(北京ダッグ) 中国の思い出

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旅の随筆
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(北京の自転車)

1987年9月、わたしは台湾台北での1年目の語学研修を終え、第2年目の研修の地、北京に降り立ちました。北京到着後、まず、驚いたことは話には聞いていましたが、北京人の北京語と台湾で話されている北京語が全く違っている事でした。一年間台北でしっかり北京語の基礎を勉強したつもりでしたが、北京の人が何をしゃべっているのか、当初はさっぱり理解できませんでした。これから一からやり直しかと思うと大変がっかりしました。

 

東京の江戸っ子がしゃべるべらんめい言葉と同じく、北京人の話す言葉は北京の方言である「北京弁」で、巻き舌を多用する為、北京語に慣れて聞き取れるまで暫く時間を要しました。

 

北京大学では語学研修の先輩より代々引き継がれた自転車があり、それを譲り受けました。これに乗って大学から市内各地へ良く出掛けました。毎日家庭教師の家に通って、個人授業を受けていましたが、これも自転車が役立ちました。当時、移動手段としては自転車抜きでは考えられない時代でした。

 

休暇には、大学から比較的近い頤和園、円明園、北京動物園等に自転車で遊びに行きました。但し、わたしの引き継いだ自転車には重大な欠点がありました。ブレーキがほとんど利かず、街中の修理屋で何度修理してもまったく直らないという危険極まりないポンコツ自転車でした。

 

また、北京の自転車には電燈がついていないので、真っ暗な夜道の走行は極めて危険でした。当然、交差点ですれ違う自転車も電燈が点いていないので、夜間はスピードを出すことは絶対禁物です。ベルも無く警告も出来できません。万が一の時はお互いに大声で叫び合い、警告し合っていました。

 

ある晩、市中でひとりで京劇を見た帰りに、かなり遅い時間帯に自転車を乗って大学に戻りました。市内繁華街から大学までは10数㌔もありました。夜も遅く、あいにく月も出ていません。街燈もなく、漆黒の闇夜の晩で、案の定、わたしは道に迷ってしまいました。こんな闇夜の夜半にも関わらず、自転車を黙々と漕ぐ車列は絶えず、驚きを感じたものです。

 

完全に道を失ったので、通り掛かる自転車を呼び留めて、北京大学の位置を教えて貰えばよかったのですが、誰もが帰宅を急いでいる様子で、暗闇で誰かを呼び留めるのも大変憚られました。わたしは、昼間でも相当方向音痴なのですが、この晩は、どこをどのように走ったか全く覚えていません。幸いな事に、不安になりながらもにさらに漕ぎ続けると大学付近の日頃見慣れた風景らしき道に、偶然たどり着く事が出来た時はほっとしました。

 

一歩間違うと闇夜に溜池、側溝にでも転落していたら、大変な事故になったと思います。

 

1980年代はあれほど道路に溢れていた自転車も現在では自動車に取って替わられました。今の北京では全く想像も出来ませんが、片側4車線の幹線道路の3車線が自転車で埋め尽くされていた時代がありました。

 

市民の自転車を漕ぐ速度は物凄く遅く、大学から会社の事務所があった北京飯店まで1時間強漕ぐ間に何百台、何千台という台数の市民の漕ぐ自転車を追い抜いていました。昼も夜もこの自転車の流れはまったく途切れることはありませんでした。

 

上海製の自転車、上海号、鳳凰号などの自転車ブランドの人気が高く、黒塗りで頑丈、昭和の日本でいえば牛乳屋・新聞屋が配達に使っていたようなごつい自転車です。

 

あの自転車が、中国の経済発展と共に、現在で完全に自動車に取って変わられて大変便利になりましたが、その代償として北京は青空を失ってしまいました。とても残念な気がします。

 

(北京ダック 全聚徳 本店)

 

北京での食事の思い出は数限りなくたくさんあります。しかしながら、何といっても一番の忘れられない味は、北京ダックです。北京大学の留学生食堂の朝昼晩三度の食事も決して忘れる事も出来ませんが、当時の最高の贅沢であった「北京ダック」の味は忘れることが出来ません。

 

北京大学正門前にも北京ダックの老舗全聚徳の支店がありましたが、本店のある市内の「前門」までまざわざ、研修生仲間とタクシーに乗り出掛けました。 2人で北京ダック丸ごと一匹を食べる予定でした。しかし、その日は北京ダック以外にも他の料理も何品か注文し、且つ、北京ダックの薄皮のみならず、肉の部分の料理と、ダックをスープにする事などダックのフルコースを注文してしまいました。留学生の僅かな小遣いでも北京ダック一匹を注文出来るほど当時は物価が安かったと思います。(実際はかなり奮発したのかもしれませんが、、、)

 

北京ダックは注文してから焼き上がるまでかなりの時間が掛かる為、他の料理も食べて若干お腹が満たされた後に、いよいよこんがり焼けたダックが台車で運ばれてきました。目の前でコックが身から皮を丁寧に薄く削ぎ落としてくれました。

北京ダックのあまりの美味しさにつられ、中国の最高級酒である白酒「 茅台(マオタイ)」(53度)を一瓶注文して2人で飲み干しました。

 

この時、人生最初で最後の経験ですが、酒に酔いながらも、頭はすっきり冴えていて会話は通常通り出来ていましたが、いざ立ち上がろうと思うと、完全に腰が抜けてしまい立ち上がることが出来ませんでした。 暫くの間、酔いが醒めるまで椅子に座っていました。

 

「酒を飲んで腰を抜かす」経験は他人ごととばかり思っていましたが、茅台は本当に腰が抜けるので十分注意が必要です。

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