「全一冊 小説 直江兼続 北の王国」の概要とあらすじ
上杉景勝の家臣でありながらも、太閤秀吉より三十万石を賜った男・直江山城守兼続。主君・景勝との深い魂の絆を胸に秘め、合戦の砂塵を駆け抜けた彼は、戦国乱世に勇名を馳せる。だが、己の歩むべき真の道を見いだした時、天下取りの争いに背を向け、北の大地に夢を託すのだった。米沢の名藩主・上杉鷹山が師と仰いだ戦国武将の、凛々たる生涯を描いたロマン大作。全一冊・決定版。 文庫本680ページ(アマゾン本の紹介より)
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「全一冊 小説 直江兼続 北の王国」の感想
ほとんど持っていなかった直江兼続像を得る事が出来ました。景勝との主従関係、秀吉、三成との関係、秀吉亡き後家康のしたたかな勢力拡大戦略など興味津々でした。
戦国時代の武将上杉景勝の家老、名参謀として活躍した直江兼続、景勝と主従関係にありながら秀吉にも寵愛され、上杉が会津120万石に国替えされた際は兼続に30万石与えよと秀吉から直々に要請されたというこ話にも驚きました。
兼続は旧姓樋口与六といい、直江家に婿入りしていました。直江とは信越線の『直江津』駅として国鉄時代から良く聞く駅名だったので覚えています。このあたりが直江氏の元々の拠点だったと知りました。現在は直江津市は上越市と名称を変更しましたが、駅自体は、北陸新幹線・長野駅 – 金沢駅間延伸開業に伴い、えちごトキめき鉄道・東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅として存続しています。
兼続は石田三成と同年齢、初対面の時より気があった様で、二人で「兄弟」の契りを交わす場面が描かれています。三成は、秀吉の配下の武将として実戦で活躍する武闘派というよりは、秀吉の戦略を持てる知力で側面から支える頭脳派ぶりを発揮していました。(その分、秀吉傘下の仲間内では敵も多かった)
景勝の越後から会津への国替えに際しては120万石の内30万石(米沢)を兼続に領有させる条件を秀吉より要請され、その通りに実行しています。後に、関ケ原の合戦以降”改易”され、120万石→30万石減封され米沢に押し込められています。藩士は削減する事無く、そのまま全員引き連れて移った事が米沢藩の財政危機問題となります。この問題は後に上杉鷹山の登場まで暫く苦しむ事になります。
彼らは、頻繁に会津・米沢を遠く離れ上方に呼び出されていました。上方での権謀術策渦巻く”政争”に馴染めず、景勝・兼続の心にはいつしか越後に戻り、東北地方を(力づくで)統一し”北の王国”建設の夢が芽生えていくようになります。しかし、この夢はとうとう実現することはありませんでした。関ケ原合戦の直前、景勝・兼続は家康の再三の招集を無視して会津に籠りました。家康の野望に反発していたのです。家康は、大軍団を率いて会津入りを狙いますが、決戦直前に石田三成が挙兵し、東進開始の知らせを受け、急遽大軍団を率いて家康軍は撤退しています。万一三成の挙兵が1週間遅れていたならば、景勝・兼続VS家康の合戦の勝敗はどうなっていたのでしょうか?大変興味の湧くところです。
しかしながら、家康のしたたかな政略に抗う事が出来ず、徳川幕府の時代を迎える事になります。
「全一冊 小説 直江兼続 北の王国」の世間一般的な意見はどんなものがあるのか?
総じて好意的な意見が大半でした。但し、作中の視点を現在に置く注釈などが入ってくるところが難点との指摘も多々ありました・・・(わたしとしては脱線大いに結構、知らない知識吸収に大いに役立ちますが…)
徳川家康も震撼せしめた天下一の軍師・直江兼続を描いた傑作。
直江兼続は、あの前田慶次郎が天下のもののふとして認めた男です。
長谷堂城合戦での、伊達・最上連合軍を相手にした撤退劇は有名です。上杉家の軍法による、懸かり引きというもので、家康も賞賛を惜しみませんでした。
直江を描いた作品では、これが決定版です
景勝との信頼関係、三成との出会いや秀吉などの人誑しに抗する生き様など、人間描写は読んでいて内容にぐっと引き込まれるのですが…
いかんせん話の要所要所をぶった切って行く童門先生のご意見ご説明が…
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