2002年、転勤から東京に戻りスポーツジムに入会し継続した。出張や会食なども多く、スケジュール通りに走るのは難しい日が続いたが、それでも暇ができればジムに立ち寄り走る習慣を何とか維持することができた。ジムの場所は真っすぐ自宅に帰るよりも遠回りになってしまうのだが。アスリート系雑誌で大変人気のある『ターザン』をよく読んでいた。筋肉、体幹、体脂肪、脂肪燃焼などいろいろと学んだ。ランニング効果の特集などはすごく気になった。そんな中、トレッドミルで走ることに飽きてきた頃だったので、屋外でも走りたいと思い始めた。徐々に野外でのジョギングも取り入れた。やはり、清々しさが違う。景色が目に入ると時間を気にせず走ることができる。あっという間に30分、1時間が過ぎていく。そして目に入ったのがマラソン大会への参加記事だった。フルマラソンは無理でも、普段10kmは走っているのでその2倍の距離であるハーフマラソンなら完走できるのではと思った。手始めに地元松戸の「松戸市七草マラソン大会(10k)」(2005年)にエントリーし、出走した。その時驚いたのが他の出走者の速いこと。全走者が一位を目指してダッシュしているようにも見えた。10km程度の短距離ではペース配分もへったくれもないことを学んだ。次のターゲットはハーフマラソン出場だ。その頃、短い距離の経験を積みさえすれば、フルマラソン完走も夢じゃないという思いが込み上げてきた。その後、「藍のまち羽生さわやかマラソン大会」(2005年3月)を皮切りに、ほぼ毎月ハーフマラソンにエントリーし回数を重ね、宿願のフルマラソン「東京・荒川市民マラソン」(2006年3月)に出走し、完走を果たした。記録ネットタイムは4:29:11だった。フルマラソンを走破するという未知の世界を経験できた喜びは本当に大きかったが、とにかく足が痛い。前半周囲の人のペースに合わせてハイペースで走り過ぎ、後半の息切れ、スタミナ切れが激しかった。その後、後半のペースダウンを防ぐためには、減量して無駄な贅肉を落とすこと、体重は80kg近くあったのも問題だと気づいた。とてもマラソンランナーの体型ではないと本人は十分自覚していた。
フルマラソンも月に一度のペースで出走を重ねていた。しかしながら、回を重ねれば体も慣れ、徐々に楽に走れるようになると信じていたが、一向に楽にならない。後半30kmからは地獄の苦しみが続く。唯一の救いはエイドステーションの小休止、サロンパスのスプレー缶の無料提供は一番嬉しい。水や果物、アイスクリームが振る舞われる時もある。「かすみがうらマラソン」(2006年4月)では私設のエイドステーションが立ち並び、手作りおにぎり、おしんこ、お汁粉何でもありだ。タイムそっちのけで、屋台の立ち食いランナーと化してしまった。それに実に嬉しいのが、沿道の大声援、バトントワラー、陣太鼓、和太鼓の音はリズミカルで、マラソンを走るにはぴったりの音だ。老人介護施設の前で椅子をわざわざ沿道に出して、ご老人が一生懸命小旗を振ってくれる姿も大変勇気が貰えた。驚くべきことに折り返し地点を回って元の道を戻ると、まだそこに居て応援し続けていらっしゃる。何時間も応援してもらっている。涙が出そうだった。また、自分の着けているゼッケンナンバーを読み上げて「〇〇〇〇番がんばれ〜」と声援してくれる。しかし、後半30km地点を過ぎると疲労が激しく、笑顔で手を振り声援してくれる方々にいちいち応える余裕など全くない。すると「声援しているのに、何も応えないねぇ〜なんだぁ」と親子で会話している声がはっきり聞こえてくる。こっちは精魂尽き果てる限界でも、耳だけは正常でよく聞こえている。
夏場はさすがにマラソンのエントリーは無く、いよいよマラソンの秋、2006年11月に走った「第26回つくばマラソン」でネットタイム3:58:29の快挙を打ち立てた。念願のサブ4だ。49歳の時だった。秋天のさわやかな気候のマラソン日和だったのをよく覚えている。
「東京マラソン2007」にエントリーして運よく抽選に当たり出走した。大会当日は朝から土砂降りの大雨だったことを覚えている人は多いと思う。こんな雨じゃ、エントリーした人も諦めるじゃないかと内心思っていた。ところが、マラソンに参加する気概を持つ人の根性は一般人と全然違うようだ。なんと出走者19494名。都庁前の狭いスタート地点には数え切れない元気いっぱいのランナーで溢れ返っていた。出走者の手荷物を予め、ゴール地点まで大型トラックで運んでもらう手続きをしてもらったが、20tクラスの大型トラック数台が並んでいたのには驚いた(変なところに関心した)。スタート時間に、号砲が鳴ったのも聞こえない、何時スタートしたのすら定かでない。数分間雨の中立ち尽くしていると徐々に動き始めたが、歩きだ。ようやくスタートラインを過ぎ、ジョギング程度の速さで走り始める。石原慎太郎都知事がお立ち台から走者に手を振り続けている。マラソンってこんなに人気があることにかなり面食らった。まるでお祭り騒ぎだ。仮装ランナーがやたらに多い、沿道の風景写真を撮りまくっている人、コンビニに駆け込む人、普段見慣れた都内の風景が一変する「絶景」、走った人でなければ味わえない興奮に包まれる至福の瞬間だ。薄手のレインウェアが脚に纏わりつき、走りづらい。身体も冷えてくる。後半ペースダウンしてくるが、晴海近辺の勾配のきつい橋を超えるのにも一苦労するので、ゴール直前で何度も歩かざるを得なかった。
翌3月の「東京・荒川市民マラソン」を最後にマラソン出走を控えている。7度のフルマラソン完走は日々の計画的な鍛錬の賜物と思っている。何もせず、いきなり走って完走できるほど甘いものではないとつくづく感じている。また、苦しい時の周囲からの声援の力の偉大さを学べたことも大きな収穫となった。現在も週2、3回程度で5kmのジョギングを楽しんでいますが、機会があれば関東近郊のハーフマラソンにエントリーしてみたいと考えている。




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