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おすすめ映画|『幸福なラザロ』(2018/アリーチェ・ロルヴァケル監督)巨匠マーティン・スコセッシ監督も絶賛した映画

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幸福なラザロのあらすじと概要

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『夏をゆく人々』(15)で注目を集めたイタリアの新星アリーチェ・ロルヴァケル監督(女性。1982年、イタリアはトスカーナ生まれ)の第三作目の最新作。

リアリズムとファンタジーが入り交じる寓話世界は“マジックネオレアリズモ”と評され、本作を観た巨匠マーティン・スコセッシ監督はその才能に驚き、映画完成後という異例のタイミングながらプロデューサーにに名乗りを上げた作品です。

第71回カンヌ国際映画祭では、パルムドールを受賞した是枝裕和監督の『万引き家族』(2018)とともに話題となり、脚本賞を見事受賞しています。

舞台は20世紀後半のイタリアの小さな村。(事前の知識が一切無く、いきなり本作品を見始めた時は舞台は200年位以前の中南米のどこかの国が舞台の話と勘違いするほどでした)

大洪水の影響で外の社会から完全に隔絶された渓谷の小村では、すでに政府によって廃止された小作制度による搾取が、事実を隠蔽するデ・ルーナ侯爵夫人(ニコレッタ・ブラスキ)によって奇跡的に続いていました。

純朴な村人たちは、子供を学校に通わせることも無く、毎日たばこ農園で過酷な労働を強いられ搾取されていましたが、彼らの村での生活そのものは明るく、朗らかな雰囲気を保つ集落の生活中でが得ています。なかでも働き者の青年ラザロ(アドリアーノ・タルディオーロ)は、誰の言うことも素直な心で受け止め、頼まれればどんなことでも引き受けてしまうため、村人たちからもバカにされていました。

ある日、侯爵夫人と子息タンクレディ(ルカ・チコヴァーニ)の一行が村にやって来て、滞在することになります。

村人たちは搾取する側の人間に一切関わり合おうとしませんが、ラザロだけは違い、何もすることがなく暇を持て余している息子のタンクレディの相手を自ら買って出て、彼を自分の秘密の隠れ家に案内します。

そこでタンクレディは、母親に反抗するため、自身の狂言誘拐をラザロに持ちかけ、早速脅迫文をでっち上げますが、これは狡猾な侯爵夫人に、すぐに狂言だと見破られてしまいます。

隠れ家に身を潜めるタンクレディの元に毎日食べ物を運び続け、暇の相手も務めるラザロ、彼の献身的な姿をみたタンクレディは「俺たちは兄弟だ」と冗談めかしますが、ラザロはそれを真摯に受け止め、二人の絆は徐々に深まっていきます。

しかし、ある夜、珍しくラザロが高熱を出してしまい、タンクレディの元へ食べ物を届けることが出来ず、翌朝、まだ熱が引かない身体に鞭打って隠れ家に駆けつけようとしたラザロでしたが、不意に足を滑らせ、そのまま30-40㍍はある深い谷底へまっさかさまに転落してしまいます。

その頃、タンクレディの安否を心配した監督官のニコラの娘テレーザの通報によって、村には警察がやってきました。

警官たちは、未だに小作制度を維持しながら搾取を続けていたたばこ農園の実態を見て驚愕します。

侯爵家による大掛かりな隠蔽が行われていたことが明るみに出て、村人たちは初めて小作制度がすでに廃止されたことを知ります。

こうして村人たちは自分たちが賃金を一切貰っていなかったことに怒りを覚えながら、村を離れ、散り散りになっていきました。

一方場面が変わって、谷底に倒れるラザロの元に一匹のオオカミがやってきます。やがて目を覚ましたラザロは、すでに荒廃してしまった村の光景を目の当たりにします。(この間浦島太郎ではありませんが、既に30年間の時間が経過している設定になっています。しかし、驚くべき事にラザロは全く年を取っていません)

ラザロが廃墟と化した侯爵家の邸宅に行くと、そこで盗みに入っていた元村人の親子と遭遇。そして立ち去る親子の後を追って、彼は北の大都市へと向かいました。

ミラノで親子に再会したラザロは、さらに侯爵家のメイドだったアントニア(アルバ・ロルヴァケル)とも再会を果たします。

昔と全く変わらないままのラザロの姿をみて、“聖人ラザロ”を連想しアントニアはラザロを思わず拝みます。

ラザロは、そのまま彼女がともに暮らす盗人一家の仲間になってしまいます。

ある日偶然にも、彼はかつて“兄弟”の絆を深めたタンクレディと再会します。

すでに中年に差し掛かっているタンクレディは没落し変わり果ています。今では生活にも困っている様子ですが、ラザロとの再会を喜んだタンクレディは、旧交を温めようと一家ともども昼食に招待すると告げ、その日は別れます。

翌日、生まれて初めての貴族からの招待に期待を膨らませるラザロ一行でしたが、辿り着いた家は壁も剥げ落ち、とても貴族の邸宅とは思えない場所でした。

さらには、タンクレディは招待などしていないと言い張り、一行は土産の菓子だけ取られて門前払いされてしまいます。

貴族の気まぐれに怒りを露わにする一家たちですが、ラザロだけは深く傷つき、落胆していました。

帰り道ふと立ち寄った教会に入ろうとしますが、断られ追い出されてしまいます。すると教会の音楽は聞こえなくなりますが、音楽はラザロ一行の周囲だけに纏わりついてきます。(このあたりの描写がラザロの神性をそれとなくしめしている気がします)

あくる日、街の中心部にある銀行を訪れたラザロは、強盗に間違われてしまい、銀行窓口で思わず没落したタンクレディの財産を返すことを要求する行動に出ます。

しかし、ラザロの後ろポケットに隠しもっていたものが銃ではなく、昔タンクレディからもらった手製の玩具であったことに気付いた周囲の客たちは、ラザロに一斉に飛びかかり、激しい暴行を加え始めます。ラザロはなす術もなく暴力を受け続け、ついには床に倒れ込んでしまいまい幕を閉じます。

 

幸福なラザロのネタバレ感想

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ストーリーとテーマについて

日本人には比較的馴染みが薄い、『ヨハネ福音書』に登場する”蘇りのラザロ”(死後4日目に、キリストの奇跡によって蘇生した聖人)に由来するラザロの物語です。純真無垢なひとりの青年の半生を綴っていますが、上記あらすじの通り、集落での生活と崖転落以降イタリア北部大都市に移ってからの生活の2部構成になっています。前半と比較して後半大都会でのラザロ行動の一つ一つの描写が彼の神性の濃度を高めて行くところが見どころとなっていくのではないでしょうか。

演出や脚本について

本作のラザロは立派な英雄でもなければカリスマ性もない。何も持たず、何も望まず、目立つこともない。しかしシンプルに生きるその姿はあまりにも衝撃的で、ごくありきたりの純朴な普通の人間がここまで注目される点が本作品の価値を高めているのではないでしょうか!

さらにもう一人、侯爵夫人のひとり息子タンクレディという名前も繰り返し呼ばれています。

この名前を聞いて、イタリア映画ファンがすぐに思い浮かべるのは、ヴィスコンティ監督の歴史劇『山猫』(63)に登場する青年貴族タンクレディだったそうです。

『山猫』でタンクレディを演じていたのはわたしが最も好きな俳優のひとりアラン・ドロン(11月8日誕生日がわたし同じ、関係ありませんが)で、そのドロンが同じくヴィスコンティ監督の『若者のすべて』(60)で演じていたロッコ・パロンディという青年は、本作のラザロにとてもよく似た心根を持つキャラクターとなっています。

キャラクタ―とテキストについて

主人公ラザロを演じるアドリアーノ・タルディオーロは、公立高校在学中に監督によってスカウトされ、1,000人以上の同年代男子の中から発掘された超新星の俳優です。それまで全く演技経験は無く、その無垢な瞳は見る者の心を溶かし、まさに現代に蘇ったラザロを体現し圧倒的かつ鮮烈な印象を残していることで高く評価されています。そのほか、イタリア映画界を代表する女優で監督の実の姉であるアルバ・ロルヴァケルが『夏をゆく人々』に続いて出演。侯爵夫人を『ライフ・イズ・ビューティフル』などで知られる女優ニコレッタ・ブラスキが演じています。

まとめ

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本作品は前知識なしの状態で見始めたら前半は搾取される人々の悲劇で終わってしまいますが、断然後半部分から一人の人物ラザロの強烈な人格に焦点が当てられていきます。対照的に周囲に群れ集う人物が余りに俗世間的な過ぎるのも問題はあるかもしれませんが、、、

本作品を見終わった後、じわーとした感じがいつまでも残り、じっくりと考えさせる映画なので、是非ともご紹介したい思いました。

わたしの本作品評価は92点です。

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