>

おすすめ本|『日中戦後外交秘史 1954年の奇跡』 加藤徹、林振江著 (新潮新書)

スポンサーリンク
おすすめ本の紹介
Lizzy_lzlzによるPixabayからの画像
スポンサーリンク

なぜ「日中戦後外交秘史」を読んだのか?

Rudez ZhongによるPixabayからの画像

本書も少し前ですが、毎日新聞の書評欄に紹介されており、気になっていましたので、本屋の書棚に見つけ早速読んでみました。私はこの書を読むまで、李徳全女史の事は全く知りませんでした。また、1954年当時日本各地でこれほど歓迎された中国要人が訪日された歴史がある事にびっくり仰天させられました。

本書の後半以降、李徳全訪日団の14日に及ぶ訪日がドキュメンタリーとして詳細が描かれていますが、日本各地での一行の歓迎振り、真に迫る記述には感動を覚えました。こういう日中間の歴史の一コマもあった事を歴史の事実としてを日本人も中国人ももっと勉強するべきだとつくづく思いました。決して忘れてならないし、語り継ぐべきだ事実だと思います。また、なぜ、この様な美しい内容の話が現在の教科書に一切載らないのか疑問を感じるのは私だけではないと思います。

中国関連の投稿記事:三体 異星人との接触を描く 劉慈欣著 レビュー

「日中戦後外交秘史」を読んだ感想、トピックス

zibikによるPixabayからの画像

1954年当時はまだ新中国との国交は無く、残留日本人問題の解決について中国と交渉する際も、台湾やアメリカの顔色を見乍ら行っていたという背景があります。そんな中、1953年、敬虔なキリスト教徒であったフィリピンの大統領エルビディオ・キリノ氏は特赦を出し、日本人戦争犯罪者BC級戦犯105名の帰国を許したそうです。何とキリノ大統領は自分の妻やふたりの娘たちを日本兵に殺されたという経験をされているにもかかわらず、大変勇気のある英断を下しました。

このニュースは当時、中国残留日本人の留守家族の心を大きく揺るがす出来事だったとの事です。なお、何とこのキリノ大統領の顕彰碑は東京日比谷公園の中に71年目の2016年に建てられています。近い内に日比谷公園に出掛け顕彰碑を実際に見て見たいと思います。

また、ソ連によりシベリアに抑留されていた日本人は数十万人にのぼり、これはソ連赤十字社との協定で戦犯として抑留されていた日本人の送還が行われる様になるなど進展しつつありました。この様に正式外交が樹立していない国同士のやり取りは辻は、赤十字社の貢献が大きかったとあります。

この時期、中国側の国内事情の説明として、「新中国の外交の総指揮者である国務院総理の周恩来は、知日派であり、徹底したリアリストであった。新中国とソ連との蜜月は永続きしない事、米国べったりの日本はいずれ独自の外交路線を模索すると、周は見越していた。新中国の永続性を確保する為にも、日本を突破口として、西側諸国とお交流関係を確立することが、周の戦略だった」と。これは、建国間もない中国の事情がたいへん良く分かる内容です。又したたかな周総理の鋭い読みも理解できます。

そんな国交の無い時代に、残留日本人問題の日本側の交渉窓口だった日本赤十字社の相手になったのは中国紅十字会(会長は李徳全女史、顧問は廖承志氏)でした。そして、中国の作戦は「まず、民間から始めて、政府が動くように促す…」という国策に従って動いたとようですが、とにもかくにも紅十字会会長という国交の無い国家の要人が、民間交流(李徳全団長以下10名)と名目で来日することが決定しました。

今では想像も出来ませんが、当時の国内反共勢力の反対、抗議や妨害、暗殺などが起きたら対処できるか、まだ正式な国交のあった台湾国民党政権の反対も心配されました。また、この訪日団は「中国に居る1000名以上の全日本戦犯の名簿」という手みやげを持参していました。これは大変衝撃的なニュースで、戦後九年間も、ずっと生死も分からない残留日本人の安否が李徳全が持参する名簿で判明することに知らせるものでした。

本書後半に掛けては14日間に及び日本滞在の各地の歓迎、訪問の克明な記録、一部反対勢力の不穏な動き等々が紹介されています。中国には中国の思惑はあっただろうと思われますが、それにしても大命を帯びた李徳全一行の勇気ある訪日に感謝しなければならないと感じました。

世間の客観的な意見はどんなものがあるのか

JLB1988によるPixabayからの画像

他読者の感想を一部引用させて頂きます。

加藤徹氏の文章は読みやすい。当時の社会、政治状況が巧みに散りばめられており、中国からの使者がどれ程熱狂帯びて迎えられたかがよくわかる。それにしても、いま、全くと言ってよいほど李徳全さんのことは忘れ去られている。私も幾つか日中間の本を読んだ積もりであったが、このような史実は知らなかった。それと共に周恩来の外交の凄さ、したたかさを知ることができた。

日本側の歓迎が次第にエスカレートして、代表団に会いたい団体、個人、招きたい施設、がどんどん増えていくのが面白い。14日間のタフなスケジュールをこなしていく使命感もなかなかのものである。すごい数の政治・経済・文化の名士と会っていて、その意味でも大成功であったのだろう…

4年前に出た中公新書『毛沢東の対日戦犯裁判』には「いま日本赤十字社の島津に対してわが国の紅十字会を日本に招待させるように努力しております・・」(94頁)という廖承志から毛沢東への報告が載っている。日本人戦犯への中央の「寛大」な決定については、現場幹部の不満も強かったが、周恩来は日中関係の将来を大局的に考える「深謀遠慮」から指示したとされる。むろん重要な外交カードであった。

同じ作者のおすすめの本はあるのか?

Peggy und Marco Lachmann-AnkeによるPixabayからの画像

いずれもまだ読んでいませんが、お二人には以下の著作があります。

  • 加藤徹氏:「京劇」「貝と羊の中国人」
  • 林振江氏:「首脳外交」(中国語)、「李徳全」(共著)

最後に

小平 郝によるPixabayからの画像

わたし自身中国を初めて訪問した時代は1980年代のことで、今や隔世の感のある時代と認識していますが、1950年代の中国など想像もすることが出来ません。しかしながら、日中間の歴史の1ページと本書で紹介されたような出来事があった事は嬉しいと思います。中国の歴史に関しては1945年の終戦、1949年の建国以降、余り世界史の舞台に出る事も無く、関心はありませんでしたが、このような”民間外交”が連綿と続けられていた事はもっと知るべきではないかと思います。

日中間の歴史を再認識できる貴重な一冊でした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました