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70年代 懐かしい北海道旅行(ユースホステルの旅)の思い出

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旅の随筆
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母校北海道大学の入学試験最終日、わたしはその晩の宿泊予定地である登別を目指し、札幌駅から列車に飛び乗りました。国鉄(JRの前身)の「北海道ワイド周遊券(20日間有効)」を片手に、いよいよ本格的な北海道一周の旅の開始で胸が高鳴りました。それにしても随分余裕をかました「受験生」がいたものです。受験を無事終えた安堵感から、のこのこ北海道を旅して回っている気楽な他の受験生には、この時の旅行では、当然の事乍らひとりも出会いませんでした。

 

当時、国立大学(一期校)は3月3日から5日までの3日間が入学受験日だったので、余裕をもって2月28日夜上野発のブルートレインでまず青森に向かい、真夜中に青函連船フェリーで冬の津軽海峡を渡り、早朝北海道函館に上陸、午後には札幌に到着する予定でした。(特に石川さゆりに憧れていたわけではありません)

 

ところが3月初め、1日中降り続いた季節外れのドカ雪の影響で、ダイヤが大幅に乱れ、函館から乗車した札幌行の特急は東室蘭駅に足止めされてしまい、その日は札幌に行きつくことができませんでした。

その晩、仕方なく泊まったのが、室蘭市内・地球岬にある「室蘭ユースホステル」でした。これが記念すべき我が人生最初に一泊したユースホステルになりました。

 

12時間も特急電車の車内に閉じ込められていた為、空腹を抱え東室蘭駅前のラーメン屋に飛び込みました。屋外は氷点下にもかかわらず、店内はものすごい熱気で若い大将は Tシャツ一枚でラーメン作りに腕を振るっていました。はじめて食べる紛れもない本場北海道の「味噌ラーメン」の味に舌鼓を打ちました。

 

後で聞きましたが、その時期に内地から飛んでくる札幌便フライトの多くも欠航、北海道内の国鉄も特急を含め、大部分が運休するなどダイヤは大混乱を極めていたそうです。

 

翌日も札幌に向かう道内の各列車は豪雪の影響で運休となっていましたが、 国鉄の手配で何とかバスによる振替輸送が始まった為、運良くぎりぎり試験日の前日午後に札幌に辿り着くことができました。すすき野のホテルに荷物を置き、まず試験場の下見に出掛けましたが、慣れない凍結した雪道で転倒することしきり、縁起でもなく受験前から滑りまくった記憶があります。

 

青春時代に旧国鉄のワイド周遊券を使い、日本各地を旅行をされた経験をお持ちの、わたしと同年輩の方は多いのではないでしょうか。宿泊は「ユースホステル」です。一泊二食付きで大抵2,000円程度で泊まれました。食器の後片付け、食器洗い、ベッドメーキング、風呂・便所掃除までも宿泊客に割り当てられていました。

 

ユースホステルでは同年代の若者の宿泊者が多かった為、情報交換の恰好の場となり、北海道内外、日本中の旅行関連の貴重な情報を入手する事ができました。北海道のユースホステルで知り合った人はだれもが、わたしが大学受験を終えたばかりの受験生で、旅行していることにたいへん驚いていました。持参していた何冊かの参考書が重たく邪魔になり、途中で捨ててしまおうかと悩みましたが、さすがにそれだけは良心が咎め、止めました。

 

最初の、登別温泉を皮切りに、襟裳岬、帯広、釧路根釧原野、摩周湖、阿寒湖毬藻、網走原生花園、浜頓別、旭川、札幌青年の家等に泊まりました。3月の北海道は冬真只中でしたが、どこのユースホステルのペアレント、ヘルパー、連泊している宿のぬしの様な旅人からも心温まる歓待を受けたので、寒さの思い出はありません。見るもの、聞くものすべてが新鮮に感じられ、非常に楽しい思い出ばかりでした。

 

・登別温泉・・・クマ牧場のヒグマの愛想が非常にいいのにはびっくり仰天しました。二本足で立ち上がり、手のひらを広げ、餌をくれとせがんでいる様に見えました。中には頭の上で両手を合掌して我々に盛んに首で辞儀している様に見えるヒグマもいました。抱いていた恐ろしいヒグマのイメージとは相当違いました。

 

・襟裳岬・・・森進一が歌った歌で日本全国知らない人がいない岬だと思います。その時はどうした訳かユースホステルで掛かったボブ・ディランのレコードを傾聴していて、襟裳岬を見ずに終わってしまいました。

 

・釧路根釧原野・・・鶴居村のたんちょう観察センターのたんちょうの優雅な舞と鳴き声!

 

・摩周湖・・・ユーズから摩周湖までの吹雪の道路を1人で歩いていると、通り過ぎる車が何度も止まってくれて「乗っていきませんか」と心配してくれました。摩周湖に到着した時は霧が掛かっていて湖面は全く見えていませんでしたが、20-30分間ボーっと待っていると、突如霧がきれいに晴れわたり、その神秘的な佇まいを一瞬見せてくれました。

 

・網走原生花園・・・生まれて初めて流氷を見ました。流氷の上を歩きました。氷は白色ではなく、太陽の光線の加減でピンク、青、紫色に変わっていきました。多くの白鳥も飛来していました。

 

・浜頓別・・・北海道の北部で初めて聞く地名でしたが、とても居心地の良いユースでした。連泊者が非常に多く、北海道で出会う他の旅行者のほとんどが「浜頓別ユーズホステル」の名前を挙げて、北海道の「一押しユース」という話を聞き、訪れたところです。これといった観光名所がある訳ではないのですが、ユースに泊まるのが旅の目的のようでした。ここでは噂通りの熱烈歓迎を受け、2連泊しかしませんでしたが、チェックアウトする際、後ろ髪を引かれる思いをしました。

 

旭川・・・道内の旅行が2週間を超えていたので、すっかり旅慣れてきました。ジャガイモと牛乳が物凄く美味しかった印象があります。

 

又、知り合う旅行者との新しい交流も出来たので、以後、ユースホステルを利用しての旅行の虜になっていきました。
「ワイド周遊券」は購入した駅までの国鉄の電車、バスの往復区間を「急行」まで追加料金無しで乗れました。特急に乗るには特急券の追加料金が必要となります。

 

北海道からの帰りは行きと同じく函館から、再び青函連絡船に乗り、東北本線の「急行」(上野まで行ける夜行急行「十和田」「八甲田」)を利用しました。青森浅虫温泉、平泉毛越寺に泊まって、ちょうど受験後20日目、ワイド周遊券の有効期限ぎりぎりに自宅のある埼玉に辿り着きました。家に帰ると大学の合格通知が既に届いていました。

 

北海道大学の受験に行かなければ、ここまで「一人旅」の世界にのめり込む切っ掛けを得る事は出来なかったかも知れません。

 

わたしは、大学生活4年間で合計100泊程度でした。中には分厚いスタンプ帖(一泊毎に特色のあるスタンプを押印したり、カードを張り付けてくれます。一種の御朱印のようなもの)を持っている旅慣れた人は、みんなから羨望の眼差しで見られたものです。

 

今でも、時々同年輩の方で同じように全国のユースホステルを国鉄ワイド周遊券片手に泊まり歩いた経験を持たれる人と出会う事がありますが、本当に懐かしいお互いの思い出を語り合う事があります。

 

 

 

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