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EU統合以前の懐かしい欧州旅行(国境越えは苦労ばかり!)

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旅の随筆
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イタリア・ブリンデッジから地中海フェリーでギリシャ・ピレウスまで

ローマ コロッセオ
トレビの泉
フィレンツェの街並
地中海カーフェリー甲板にて

スイスでスキーを楽しんだ後(ヨーロッパ旅行の後半)列車でイタリア・ローマ入りしました。街全体が古代ローマの遺跡に埋もれている雰囲気に圧倒されました。日本の木と紙の文化と比較して、石の文化の遺跡は朽ち果てることなく延々と残り続けるのでその重厚感の違いに唖然とさせられました。街中には当時は未だに発掘作業が継続している場所(フェロ・ロマーノ?)もあったりして、観光客は確か入場が許可されていませんでした。

フィレンツェも数百年前の中世の都市の佇まいが現在も生きづいている事に驚きました。街全体が一つの芸術作品ではないかと思われました。こんな素敵な町に生まれ、育ったらどんな生涯を送るの事になるのかちょっと想像も出来ません。美術の教科書に出てくる絵画の数々、勿論これらは見た覚えがあるので、直ぐ分かりますが、それ以外にも目を見張るような美しい芸術作品の大洪水に心底驚きました。もう少し、事前にルネッサンス美術の勉強しておけば、より有意義に見学出来だのではないかと、後で少し後悔しました。

今回のヨーロッパ旅行も事前に綿密な計画を練って出発した訳ではありませんでした。香港で一か月ヨーロッパに滞在可能なチケットを購入したので、ロンドンから入り、パリからの出発便のみを抑えてありました。ヨーロッパの中の行程・滞在都市の組み立ては全くの自由でした。わたしは今回初めてのヨーロッパ訪問だったので、行きたいところはいっぱいありました。しかし、僅か1か月では見て回るにも限界がありました。最初はトルコ・イスタンブールも訪問予定に入っていましたが、旅の途中で時間的に無理だと諦めました。更に、東ヨーロッパ各国も諦めて、二人で相談してギリシャだけはどうしても行こうと決め、イタリアから地中海の船(フェリー便)を利用し、海路ギリシャに向かう事にしました。

南イタリアのブリンデッジ(イタリア半島をブーツとするとその靴の踵の位置にあります。後で知ったのですが、森鴎外の小説『舞姫』の冒頭のシーンで、主人公はこのブリンデッジ港から日本への帰国する旅の途中で書いた回想録という形式を取っているそうです)の駅を降りてから、パスポート審査、出境手続きなど面倒臭いなぁと思っていたところに、運良く日本人女性と西欧人のペアに、列車を下りたところで偶然巡り合いました。彼女らもギリシャに渡航するらしく、一緒に付いて行くこと勝手に決めました。駅には英語の表記も殆んど無く、英語も殆んど通じそうもない田舎の都市なので、同行してくれる人が突如現れて、本当に安心しました。

見知らぬ土地ながら、比較的スムースに乗り込むことが出来たフェリーは地中海クルーズという想像していた雰囲気と若干異なりました。乗客の多くは大型トレーラーの運転手風のいで立ちの人たちでした。ちらほら観光客らしき人の姿も見掛けましたが少数派でした。また、イタリアからギリシャはもっと遠いものと思っていましたが、海路では意外に近いのには驚きました

船内にはイタリアまでの街に漂っていたヨーロッパ風の香りとは一味違う、アジアを想起させる”醤油風”の香りも漂っており(そんな事はない筈なのですが)何となく、東洋に少しだけ近づいたのかという雰囲気を感じました。かみさんに聞いたら「そんな香りはしない!」ときっぱり否定されました。やはり気のせいだったのかもしれません。

ギリシャの港町ピレウス到着後は入管手続き等あったと思うのですが、その列に並んでいる最中に例の日本人女性らは姿が見えなくなってしました。ピレウスからアテネまでは「地球の歩き方」を頼りに、どうにかこうにか、自力でバスに乗り込みました。大型トレーラー、貨物車、バスなどの大渋滞があったので、時間は相当掛かりましたが、なんとか無事アテネ市内に到着しました。

アテネからオリンピック航空でスペイン・マドリッドへ

パルテノン神殿は修復工事中
ミコノス島へ
エーゲ海の島
運送はロバが活躍
白壁の民家

ギリシャの荘厳なパルテノン神殿が丘の上に佇んでいます。これは一見の価値があります。船で渡ったミコノス島の家々の壁はどこも、白く塗られることで熱吸収を低くし、エーゲ海の日差しから家を守っています。現在は観光のために白く塗ることが義務付けられいるそうで、こまめに塗り直して白さを保っているので、年々白さを増している感じを受けます。

ギリシャ・アテネからはスペイン・マドリッドに飛行機で移動することにしました。ところが、街中の旅行代理店で航空券を予約する時は一切言われていなかったのですが、出発日当日空港カウンターに行ってみると、なんと、乗るはずのオリンピック航空は『ストライキ』が行われている事を知りました。全便キャンセルの表示が出されており、びっくり仰天しました。為すすべなく、市内にもう一度戻り、チケットを購入した旅行代理店を訪れると翌日同じ時間帯のフライトが、ストの影響無く飛ぶらしい(ストライキは一日のみで助かりました)と説明を受け、また、チケットはそのまま使用可能との説明を受けました。すっかり安心し、その場で即座に気分を入れ替え、もう一日追加でアテネ観光が出来て良かったと思い直しました。旅にはハプニングはつきモノです。慌てず、冷静に対処した方が良さそうです。

一時は如何なる事かと心配しましたが、翌日一日遅れですが、マドリッドに無事到着することが出来ました。

マドリッドから高速鉄道でパリへ

トレド郊外の風景を背にして

トレドの古い町並み
パリ市内
凱旋門を背景に、マドリッドで買ったばかりの革ジャン姿

マドリッドでは、残念乍らフラメンコも闘牛も見るチャンスが無く(次回のスペイン旅行の楽しみにとってあります)、ロエベでスペイン皮のジャケットを購入したのが、嬉しくて堪りませんでした。買ったその場から着たのですが、鞣しが凄く良く、肌触りの柔らかい感触で、さすがロエベと思わず唸りました。定番のエル・グレコ美術館を見学し、丸一日を掛けトレドの街をゆっくり見学しました。「地球の歩き方」の中では今なお現存する古代ローマ時代の『水道橋』の下にあるレストランで「子豚の丸焼」を提供するので、味は絶品、是非注文した方が良いと記載されていました。非常に興味は湧きましたが、果たして二人で「子豚の丸焼」一匹分が食べられるものなのか心配で結局注文する勇気がありませんでした。

トレドは日本人の団体バスも観光バスで引っ切り無しに出入りしている様でしたが、われわれ二人は城壁に腰かけ、町のスーパーで購入した安物ワインを片手に、散歩したり城壁腰かけ街を眺めながら、終日トレドで過ごしました。

列車でマドリッドに戻ろうとしたところ、トレドの駅ではどっち方面行く列車に乗ればマドリッドに付くか方角が分からず、当てづっぽうに乗った列車は結局、方向が違う事に気づきました。お粗末な話ですが、隣駅で直ぐ降りて乗り換えました。何と言う名前の駅か忘れましたが、駅長が独りいるだけの寂しい駅でした。一緒に降りた若い女性を遠くから走って来た赤い車が、彼女を乗せて田園の中へ走り去る(去り際に”アディオス!”と挨拶をしてくれたのでよく覚えています)とホームにはわれわれ二人と駅長以外に誰もいなくなってしまいました。

マドリッドで確認すると、フランスに入国する為には「ビザ」が必要と分かり(当時は、ビザが不要だったり、急に必要になったり変わるらしい)結局マドリッドのフランス領事館に金曜日に申請して、取得できるのは月曜日と言われスペイン滞在の日数を延長せざるをえませんでした。

今回の旅行では最後のフランスには余裕を持って到着して、色々見て回る計画でしたが、アテネの航空会社のストライキ、フランス入国ビザ取得などなどに予定外の日数を使ってしまったので、パリ滞在は3泊4日程度の駆け足旅行になってしまいました。

パリではオルセー、ルーブル美術館を堪能しました。食事はパリ北駅付近の新鮮な海鮮料理の中心のレストランを選びました。”海鮮の盛り合わせ”二人前を注文したところ、予想に反してウェディングケーキの大きさ・高さはある三段重ねの容器に盛られた牡蠣、エビ、ムール貝の盛り合わせでした。初め遠くからこの料理が運ばれて来るのを見えた時は、いったい誰があんな料理を食べるのかびっくり仰天しました。しかし、その”ウェディングケーキ”が自分達のテーブルに乗せられ本当に度肝を抜かれました。

「注文したのは二人分ですが、、」とウェイターに尋ねると、「そうだ、これで二人前だよ」と言われました。フランス人の大食漢振りに、またまた驚きました。

更に、われわれの周囲のお客からも注目を浴びてしまい、われわれが日本からの旅行者だと分かると、興味を持たれ、話掛けられました。そして、「そんなに海鮮が好きならば、これも上げよう」と、自分の席の牡蠣やら、海老やら、貝やらをどんどん食べろと周囲の人が続々と持ってきてくれました。海鮮の食べ過ぎで、かみさんは翌日体調を崩し、予定していたルーブル美術館見学を諦め、ホテルで一人休養せざるを得なくなりました。何とも締まらない話です。

パリ・シャルル・ドゴール空港からマレーシアへ

香港で買ったマレーシア航空の格安チケットを利用した為、パリ➢ドバイ➢マレーシア➢香港とかなりの長時間のフライトで帰国しました。しかも、どうした訳か理由は定かではありませんが、マレーシア・クアラルンプール到着後、香港行きの便は翌週まで無い!?と言われ、マレーシアに足止めされてしまいました。仕方なく、クアラルンプールからバスで東の太平洋側の町クアンタンに1週間滞在し、香港に無事戻りました。

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