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おすすめ映画|『クレッシェンド 音楽の架け橋』(2019/ドロール・ザハビ監督)感想‣イスラエル人とパレスチナ人がオーケストラを結成!こんな時期もあった!?(実話)

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『クレッシェンド 音楽の架け橋』のあらすじ概要

長く紛争の続くイスラエルとパレスチナから集った若者たちがオーケストラを結成し、平和を祈念するコンサートに向けて対立を乗り越えていく姿を、実在する楽団をモデルに描いたヒューマンドラマ。

現代クラシック音楽の指揮者として世界的に名の知られるエドゥアルト・スポルクは、“世界で最も解決が難しい”と言われる紛争中のイスラエルとパレスチナから若者たちを集めてオーケストラを編成し、平和を祈ってコンサートを開くというプロジェクトに参加する。

オーケストラには、オーディションを勝ち抜き、家族の反対や軍の検問を乗り越え、音楽家になるチャンスをつかんだ20数人の若者たちが集まったが、彼らもまた、激しくぶつかり合ってしまう。そこでスポルクは、コンサートまでの21日間、彼らをイタリア・南チロルの合宿所に連れ出す。寝食を共にし、互いの音に耳を傾け、経験を語り合うことで、少しずつ心をひとつにしていくオーケストラの若者たちを描く。

しかし、コンサート前日に予想だにしなかった衝撃的な事件が起こる。誰もが”予想していたであろう”少しずつ距離を縮め、心をひとつにコンサートを成功に導き大団円……とはまったくならない結末には驚きを隠せませんでした。   

世界的指揮者のダニエル・バレンボイムが、米文学者のエドワード・サイードととともに1999年に設立し、イスラエルと、対立するアラブ諸国から集まった若者たちで結成された「ウェスト=イースタン・ディバン管弦楽団」をモデルに描いた。

若者たちを導くスポルク役を「ありがとう、トニ・エルドマン」のペーター・シモニスチェクが演じる。

 

 

原題:Crescendo – #makemusicnotwar

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『クレッシェンド 音楽の架け橋』のスタッフとキャストについて

ドロール・ザハビ監督・脚本:イスラエル・テルアビブ生まれ。テルアビブ南部の貧しい地域で育つ。1982年、奨学金を受け、旧東ドイツのコンラート・ヴォルフ映画テレビ大学で演出を学ぶ。

ペーター・シモニスチェク(指揮者/ダニエル・バレンボイム):マルガレーテ・フォン・トロッタ監督の『三人姉妹』(89)で本格的にスクリーンデビューを果たす。

ユダヤ(イスラエル)でもアラブ(パレスチナ)でもなく、この2つの民族の対立を融解させていくキーとなる重要な人物役ながら、実は彼自身もまた、このパレスチナの紛争にも関係する“過去”を抱えていることが次第に明らかになっていきます。

ダニエル・ドンスコイ(ロン):ロシア・モスクワ生まれ。ロシア人の父とウクライナ人の母を持ち、少年期をイスラエルで過ごす/バイオリニストとして一番の技量を持つイスラエル人。パレスチナ人に対する反感は人並以上。

サブリナ・アマーリ(レイラ):スイス・バーゼル生まれ。モロッコ人とスイス人の両親を持つ。ベルリンのシャルロッテンブルク演劇学校で演技を学ぶ/ロンと同じくバイオリニストとしてペーターからコンサートマスターを任される。民族融和・楽団編成のキーパーソン。

メフディ・メスカル(オマル):イタリア・カラブリア州生まれ。15歳でパリに移住した。16歳の時、フランソワ・オゾン監督の『危険なプロット』(12)で長編映画デビューを果たす/クラリネット奏者として父親からもペーターからも期待される若者役、イスラエル出身の女性カルラと恋仲になるが、意外な運命が待ち構えている。

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『クレッシェンド 音楽の架け橋』のネタバレ感想

ネタバレ有り!

紛争地域の若者が一つに集まり音楽を演奏して行こうというストーリーです。しかしながら、想像の通り二つの民族が融和して、一つの事を成し遂げようとする事は生易しい事ではない事が良く分かります。映画の大半の部分は、オーケストラを編成する為に選抜された若者だけでも融和しようという試みに費やされていきます。

指揮者ペーター・シモニスチェクの必死の努力、合宿場所をパレスチナを離れてイタリアの南チロルに移すなど工夫を凝らし、様々な困難を乗り越え、徐々に打ち解け合い成功したかに思われましたが、演奏会前日に予期せぬ予想を裏切るような事件が発生し、結局演奏会は開かれませんでした…

しかし、一番の見せ場は最後の土壇場にありました。空港で飛行機の出発を待つ待合室で、両民族の楽団員がガラスの壁を挟んで、待機していると、自然発生的に「ボレロ」の演奏が始まって行きます。徐々に高まり行く力強い音楽(クレッシェンド)の高揚感は、「本来の目的」を見事に達したように思える瞬間でした。

一日も早く紛争が終結する事を祈ります!

 

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