既に30年以上前から修善寺「菊屋」旅館が素晴らしいという噂は聞いていました。今回漸く念願が叶い訪れる事が出来ました。経営が「共立リゾート」に替わっていたので、サービスは以前と比較してどう変わったのか、変わっていないのか比較できませんが…今回泊まってみて、癒しを求めるには本当に素晴らしい老舗旅館ということが実感出来ました。(2,3泊出来れば更にいい)宿泊した日は夏休みも終わろうとする8月30日(水)、平日にもかかわらず、訪問される客は多く午後3時前後にかなりの宿泊客が集中され混雑していました。しかし、その後館内・浴室ではそれ程混み合う印象は無く、ゆっくり過ごす事が出来ました。露天風呂、内湯、貸切風呂(無料)など数がとても多く、分散されて入浴する事が出来たのかもしれません…
昨年宿泊した修善寺近くの温泉宿(日本秘湯を守る会)湯ヶ島湯本館
➢伊豆・堂ヶ島温泉『天遊』から湯ヶ島・川端の宿『湯本館』(日本秘湯を守る会)へ
東京からの修善寺温泉へのアクセス方法
車利用の場合は東名高速沼津ICから、国道136号経由35分
新幹線利用の場合は三島駅下車、三島駅から伊豆箱根鉄道修善寺下車、伊豆箱根バスにて8分、菊屋の目の前にバス停があります。
修善寺温泉菊屋のおすすめポイント
老舗旅館らしい落ち着きが漂う宿。都会の喧騒を忘れて自然に周囲を囲まれた中でゆっくり寛ぐことが出来ました。源泉掛け流しの数多くの湯船、素晴らし食事を堪能。
玄関からロビーに向かう渡り廊下、椅子からは眼下に桂川の渓流が望めます
渡り廊下
中庭を望む、風格漂う…
清涼飲料、ビールサーバーがあり飲み放題(提供される時間帯あり)温泉入浴後冷えたビールは最高ですが、食事が待っているので控えました…この設備は部屋の正面にあった為、大変に便利でした。他にアイスキャンディー、ヤクルト、瓶入り牛乳、水出しコーヒー等々飲み放題となっていました…
新館 風の語り部のシックな廊下
宿の雰囲気
老舗旅館の雰囲気を残しつつ、かなり手を加え、新館は令和3年に増設されていました。館内はとても広く快適に過ごす空間が演出されています。受付フロントなどがある棟と宿泊部屋・浴室などの棟は綺麗な渓流をまたぐ「渡り廊下」で連結されており、かなりの風情を感じる事が出来ます。
チェックインが開始される午後3時前後はさすがに宿泊客が集中する為多少混雑しますが、若い女性スタッフ中心にてきぱきと応対されており、全くストレスを感じること無く手続きを済ます事が出来ました。フロント前のロビーが広く、渡り廊下にも外の景色を見乍ら寛げる椅子が用意されているのも好印象。
準備頂いた客室は新築されたばかりの新館「風の語り部」、専用の趣のある内庭に面した一階の部屋でした。風呂や食事処もほとんど1階にある事から、階段の上り下りもほとんど気にならず、館内をあちこち移動する事が出来大変便利でした。
部屋から眺める専用庭
布団ではなく、ベッド式 寝起きが楽!
外は結構暑いので、この季節まだ縁台で外を眺める気分にはなれず(残念!)
温泉
「湯回廊」と屋号に掲げるだけあり温泉の数が多く、すべてを回るのも一苦労。いずれも贅沢な源泉掛け流しらしく温泉浴を十二分に堪能出来ました…
貸切露天風呂の一つ(無料)温泉は無色無臭
大湯殿「菊風呂」床石に菊の模様が鮮やか
露天風呂朱雀の湯の入り口、男女入れ替えの時間帯あり。檜の内風呂、寝ころび湯などあり
露天風呂
異様に明るく大きな月が輝き、さすが修善寺の月と関心していたら「スーパーフルムーン」前夜との事…
スマホでの撮影は難しい…
食事
食事場所は大広間。客席は隣席との感覚がとても広く、余り気になる事はありませんでした。窓際の席は開放感があり気持ちがいい…
特に他の旅館と異なるところはメイン料理など(1.台の物 2.洋皿 3.お食事)が好みに合わせて選択できる趣向となっていました。夫婦ふたりでどんなものが出て来るか楽しみなので別々の料理を頼みました。その為、以下写真では出された料理の数が非常に多いと思われるかもしれません…
料理の運ばれるタイミングなども程よく、非常にゆっくりと食事時間を楽しむことが出来ました。
前菜
写真で拡大するとかなり大き目ですが、実際は一口サイズの”前菜” 見ても楽しい…
冬瓜擦り流し、鱧の冷製スープ 見るだけで涼し気な一品!
新鮮な伊豆の鮮魚
桜海老かき揚げ蓮根挟み
鮎塩炭火焼き(天然鮎)たで酢
菊屋特製ビーフシチューは絶品 実際はメニューは選択制になっている為、全部の料理を食べたわけではありまん
太刀魚エスカベッシュ レモンクリームソース
赤魚の煮付け
うなぎとろろご飯
ざる茶そば(選択制)
日向夏ゼリー、抹茶キャラメルケーキ
【番外・夜食】名物夜鳴き蕎麦 午後10:00開店のそば屋(館内・無料)結構人気があり宿泊客が集まっていました。太りそう…
【朝食】新鮮なあじの開きが決め手!
最後に
夏目漱石は43歳の時、胃潰瘍を病み明治43年6月から病院に入院します。一向に病状は回復しない為、門下生・松根東洋城のすすめもあって、病気療養のためにその年の8月6日に修善寺に転地することになったそうです。
それが、今回吾々が宿泊した修善寺温泉菊屋です。療養生活としては8月6日から10月11日までの約2ヶ月逗留しました。宿の説明文ではそれ程病状は快復せず、「大吐血」したという記述もありました。修善寺で死に直面した時に達した人生観「則天去私」(意味=私心を捨て、身を天地自然に委ねて生きる)、それが修善寺の大患以後の後期三部作『彼岸過迄』『こころ』『行人』には色濃く反映されているそうです。
さすがに修禅寺温泉の湯でも病は治せなかったということでしょうか?
わたしはひとり露天風呂からスーパーフルムーン前夜の巨大な月を見上げ、俳句の一句でも浮かべたかったのですが、バンパイアでも出て来るのではないかと心配になりました(文学的なセンスは無しですね…)
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