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北京大学留学編(1)芍園 1987-88年 – 食堂、授業、そして黄砂の北京

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旅の随筆
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1987年、北京大学芍園にいた。食堂では料理人が客より先に食事をし、自転車はブレーキが効かず、シャワーはお湯が出ない。不便が当たり前の日々だった。だが、埃っぽい北京で観た京劇の極彩色は、今も目に焼き付いている。私の北京大学留学記。

1. 朝食 – 料理人が先に食事する食堂

留学生の一日は食堂から始まる。世界中から集まった留学生は、事前に買った食券を持って窓口に並び、饅頭、豆乳、おかゆを受け取る。欧米人用のメニューもある多彩な食堂だった。
ある朝、列に並んでいると、突然受取口の扉がバタンと閉まった。隙間から覗くと、中の料理人たちが自分たちの食事を始めている。客を待たせて、自分たちが最優先。驚いたが、これが当時のリアルな中国だった。彼らの食事が終わると、何事もなかったかのように窓が開き、提供が再開された。待ち時間は長かった。

2. 大学の授業 – 小学生が大学に放り込まれた気分

10月、本格的な授業の前に語学力テストとクラス分けがあった。我々同じ企業から派遣された2名は、台北の師範大学で1年間、1日6時間みっちり学んでいたため、初級は免除、学部の授業に出ていいという判定だった。
台北では小学校低学年レベル、日常会話は何とかなる程度だったのに、いきなり学部レベルだ。中学・高校を飛び越えて大学だ。試しに経済学部の授業に飛び入りしたが、チンプンカンプン。小学生が大学の講義を聞くようなものだった。
台北の充実した研修とは違い、当時の北京大学にはレベルアップのシステムがなく、語学の伸びは一気にスロウダウンしてしまった。

3. 家庭教師 – 5階の宿舎と黄砂情報

先輩から引き継いだ勉強法で、北京大学や清華大学の女性講師の宿舎に自転車で通い、家庭教師を受けた。宿舎で庶民の生活を垣間見た。
冬は空き地に石炭が山積みになる。各自バケツとスコップで持ち帰る。人の頭ほどの大きな塊。燃料は国家支給だった。エレベーターはなく、5階まで階段。冬にはその階段に葱の束が積み重なり、葱の匂いが充満していた。
教科書は自由に選べと言われ、桂林が舞台の当時のベストセラー小説を選んだ。先生からは「今日午後3時から黄砂が来るから外出注意」とピンポイントで教えてもらった。黄砂の時は北京の空が真っ暗になる。女性は顔をスカーフでぐるぐる巻きにするのが必携だった。
江南の龍井で買った龍井茶を土産に渡すと「北京人は緑茶を飲まない」ときっぱり言われた。北京はジャスミン茶だった。
毎日家庭教師の宿舎の往復だけでは勉強にならないと感じ、会社に申請し、毎月1回、研修旅行と称して中国各地を回り、自分の北京語がどこまで通用するのか、北京だけでなく、いろいろな場所を実際にこの目で確かめることにした。

4. 頑丈すぎる黒い自転車 “鳳凰”と自転車の波

会社から歴代研修生が使った自転車を引き継いだ。日本の昔の牛乳配達のような、頑丈な黒い自転車。確か「上海製 鳳凰」だったと思う。うろ覚えだが、有名なブランドだった。この自転車には決定的な欠点が二つあった。
一つはブレーキが効かないこと。道端にある自転車修理の店に何度運び込んでも直せない。職人が工具でガチャガチャやるのだが、結局「こんなもんだよ」と返されて終わりだ。
もう一つは、当時の中国のすべての自転車に言えることだが、ライトが点かないこと。市内であれば無灯火で夜中に走っても街灯があるので何とかなる。しかし、ちょっと郊外に行ったり、道に迷って知らない小道にどんどん入り込むと、本当に危険だった。月明かりの無い闇夜では、前から走ってくる自転車も見えない、自分がどこを走っているのかも分からない。一晩中、そのまま家に帰れないリスクがあった。
そして当時の北京の道路の光景は、今では想像もできないものだった。
庶民の足はほとんどが自転車で、片道4車線の幹線道路では、3車線を自転車がすべて独占するのだ。自動車より自転車の数が圧倒的に多い時代だった。
工場勤務も三交代制がほとんどで、朝も昼も夜も、出勤と退勤者の自転車の列が途切れることがない。一日中、自転車の波が途絶えることのない壮観な眺め。あの風を切る音と、タイヤの摩擦音の洪水は、今でも耳に残っている。

5.芍園のシャワー戦争

学生寮のシャワー – お湯が出ないのが当たり前
不便は当たり前、順調な学生生活はほぼなかった。
各部屋にシャワーは無く、ブースが空いていれば利用できる。ところが、お湯の供給が気まぐれで、めったに出ない。暑い夏なら水シャワーで我慢できるが、氷点下が続く北京ではお湯が出ないとシャワーは困難だった。
ある日、留学生仲間が「加藤さん、今お湯出てますよ!」と声を掛けてくれ、タオル一枚持ってシャワー室に駆け込んだ。幸いブースは空いている。お湯も水も出る。
しかし悲劇はこれからだった。
隣のブースでシャワーを止めると、こっちのヘッドの温度が急上昇。また隣でシャワーを開始すると、今度はお湯がそちらに取られ、こちらは冷水…
この繰り返しで、人が出入りするたびに、ヘッドから小出しにして、まず湯水の温度を調節してから、大きく出すという技を覚えた。

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