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新疆ウイグル自治区 オアシス都市の子供たちの笑顔 旅の思い出 

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旅の随筆
xiaofengzi-travelerによるPixabayからの画像
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zheng guoによるPixabayからの画像

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香妃の墳墓と当時は説明されていたが、、、、
オアシス都市青々とした緑、天山山脈から水脈が通じている ロバが主力の交通手段
停車場に到着、このバスで800㌔を楽々走り愛と抜く ガソリン輸送の解放軍トラック隊とすれ違う 
手前の掘っ立て小屋がこの日の宿舎! 屋根があるだけましです ここはシルクロード!!
麺打ち職人 ここから西に行ってイタリアのパスタ、東に行って日本のうどんになったのでは!? カメラを向けたらと得意そうなポーズ
シルクロード
子供はカメラを恐ろしく怖がりますが、この3人組は寄って来てきちんとポーズを決めてくれた!
カメラを完全に無視する子供達は珍しい

1988年春、北京からウルムチに飛行で移動し、ウルムチ郊外にある天池を見学、翌日のフライトでカシュガルに到着しました。カシュガル到着後から、街は猛烈な砂嵐に襲われ、わたしが搭乗してきた飛行機のフライトを最後に、以降数日間の航空便は全て欠航となっていました。

砂嵐は凄まじく、長時間にわたり砂の嵐が吹き始めると日中にも拘らず夜の闇となり目も開けられない状態が何時間も何日も続くものです。

1980年代の中国国内旅行は目的地に到着後、まず、初めにする事は帰りの便(列車、飛行機、バスでも)のチケットを確保することです。当時は出発地で往復チケットを購入出来ない大変不便な時代でした。その為、カシュガルに到着後、即旅行代理店に行き、ウルムチへの戻り便の予約を確保しようとしました。 窓口では1週間後までフライトの席は無いと言われてしまいました。

カシュガルは西域最大の都市でしたが、それでも1,2日あれば観光出来る規模なので、1週間も滞在する予定はありませんでした。何とか1,2泊後に移動する方法はないかと考えていたところ、ガイドブック「地球の歩き方」にはカシュガル・トルファン間は定期バスが運行されていると記載されていました。早速長距離バス乗り場に出掛け、トルファン行きの長距離バスのチケットを入手しました。

窓口の係員が言うには、通常のバスは3泊4日でトルファン(距離は800㌔)に到着するが、「運が良ければ」2泊3日で到着可能かもしれないとの説明でした。バスに乗って運が良い悪いの差があるということに余り合点はいかなかったのですが、仕方ないので、何とか運が良い事を祈りました。

バスの出発は朝の8:00でした。カシュガルは北京時間と時差が大きい為、朝8:00でも夜明けまでまだかなり時間があり真っ暗闇です。その為、前日長距離バス乗り場の場所の確認、宿泊先からバス乗り場までのアクセスを確認しておきました。

車のタクシーはまったく走っておらず、ロバが主力でした。「ロバタクシー」です。馭者はウイグル人ですが、北京語は通じそうでした。 彼らは、常時、刃渡り20-30㎝のナイフ(刀)を腰からぶら下げていました。さすがに現在では廃刀令!でも出されているとは思いますが、、、

翌朝、予定していた「ロバタクシー」に乗りましたが、乗る時、昨日下調べしていた料金よりかなり高い運賃を吹っかけてきたので、高いと抗議したところ、暗闇の中で白い歯を見せながら、腰のナイフの鞘をジャラつかせるではありませんか。数元値切った為にナイフで切りつけられると言うのも恐ろしくなり、言い値を支払う事で「交渉」成立です。

予定通りの時間にバスに乗り込むと外国人はわたしとパキスタン経由クンジャラブ峠を越えて中国に入境して来たドイツ人青年の2名でした。彼は既に社会人で仕事にはついていましたが、1年間休職し世界中を旅しているということでした。他の乗客はほとんどウイグル人で一部漢族と思われる乗客が乗って来ました。

このウイグル人と漢族の乗客は大変に仲が悪く、前の座席に座っているウイグル人はいつも漢族によって、大声で罵られて後部座席に追いやられていました。こんな小さなバスの車内でも民族抗争の現実の一端を見る事が出来ました。

大きめの荷物はバスの天井に上げられて頑丈に紐で縛られていました。結局最終目的地に到着するまで私の荷物は一度も下ろす事を許されませんでした。

出発後、一日何回かトイレ休憩・昼食時以外はほとんど停止せずひたすらトルファンを目指し、砂漠の中の疾走を続けました。車窓の右手に広がるタクラマカン砂漠、左手は天山山脈の赤色の山肌(孫悟空の火焔山のモデルの様な)をずっと眺めて車中過ごしますが、長時間のバスに揺れ続けているとだんだん心が萎えて来るので、自分自身を必死に勇気付けるる為「今、俺は“シルクロード”を走っているのだ!」と心の中で叫び続けていました。

途中にオアシス都市のアクス、クチャ、コルラ等に停車、停泊しました。宿はベッドだけの木賃宿です。シャワーもありません。歯を磨いて、顔を洗って着の身着のままで寝るだけです。

昼食時に、バスが停車すると乗客は一目散にレストランに向かって全速力で走って行きます。チケット売り場で順番取りをします。なぜそれ程まで必死に走るのか初めは疑問でしたが、これは食堂の食券売り場に並んだ順番で食券が買える為、それだけみんなより早くご飯が食べられる為と分かりました。わたしはいつもかなり腹を減らしているので、2回目の昼食時からはバスを降りて、猛然とダッシュしてウイグル人を押しのけて一番に食券売り場に並びました。

料理の値段は信じられない程安く、また、中華料理ですが味も結構良く、料理をついつい3、4品もテーブルに乗らない程注文してしまい、失敗したと思った事がありました。

ウイグル族の家族は大変貧しく、或は倹約家なのか4、5人の家族でもスープ一碗だけを注文し分け合い、そのスープをおかずにしてご飯を食べていました。わたしはひとりで3,4皿も並べて食べているのを彼ら家族に見られた為、大変申し訳ないという気持ちになり、次の停車場からは食事の料理の数を1皿にしました。

また、時々欧米人らしき人が2,3名で自転車に大きな荷物を積んでツーリングしている姿と何度かすれ違いました。 新疆地区はほぼ100㌔に1カ所位のオアシスの町が点在している程度です。タクラマカン砂漠の果てしなく続く道を自転車で、勇猛果敢によくも走り抜けるものだと彼らの冒険心とバイタリティにとても感心しました。

最終目的地のトルファンには「運よく」予定より1日早い3日目に到着することが出来ました。この800㌔の茫漠たる砂漠のバス旅行はもう2度と出来ない経験だと思います。

過酷な、砂漠の旅の疲れを癒してくれる唯一のものは、途中休憩で止まるオアシスの村々で遭遇するウイグル族の子供の天真爛漫な笑顔でした。わたしの着ている服がウイグル人の衣服と異なる為、珍しがって好奇の目でみんな背後に近寄って来てきます。 10人、20人の子供に背後からついて来られる事がありました。

ところが、写真を取ろうと背後を振り向き、カメラのレンズを向けた瞬間、蜘蛛の子を散らした様に一目散に、きゃっきゃと大笑いしながら逃げ出してしまいます。また、歩き始めると、子供は家の陰からから、路地裏から顔を出し、またぞろぞろ好奇心いっぱいの目で近寄り、ついて来るではありませんか。これほどシャイで、人懐こく、無邪気で活気に溢れた子供達の満面の笑顔を見たことがありません。

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