札幌での学生時代に、ほとんどの映画は映画館で観ました。DVDや動画配信など将来流行ることなど全く想像も出来ない時代でした。映画館で上映している作品しか見られない非常に不便な時代でした。もっとも、当時は不便だとは少しも思った事はありませんでした。現在の様に、ほとんどの見たい映画がいつでも、どこでも観られるような時代は本当に幸せな時代だとつくづく思います。逆にいつでもどこでも見られると、却って映画の有難味が少し薄れてしまうような気もしなくはありません。
札幌では封切りの新作をも良く観ましたが、かつて札幌駅の地下にあった名画座「テアトルポー」(現在閉館)に旧作映画を良く観に通いました。1本300円と格安でした。また、大学からも近く、大変便利でした。ここでは国内外のちょっと前の映画を中心に結構早いサイクルで、次から次へと上映されていました。わたしの映画人生は本格的には「テアトルポー」から始まったと言えるかも知れません。
当時は、鑑賞ノートの様な記録を一応付けてはいました。年間平均100本は観ていた気がします。もし現在でもその記録を持っていれば大変貴重な資料になったかもしれません。一作一ページの感想分を残していました。たぶんこの時観た映画は「アラビアのロレンス」「マイ・フェア・レディ」「太陽がいっぱい」「トリフォーの思春期」などだった様な気がします。
封切り館では、当時はまだATG映画が全盛で鈴木清順監督「ツィゴイネルワイゼン」、根岸吉太郎監督「遠雷」、東陽一監督「サード」、黒木和雄監督「祭りの準備」などをやっていた時代です。結構新作が上映されるのを楽しみにしていました。
更に、ルキノ・ヴィスコンティ監督「家族の肖像」、マーチン・スコセッシ監督「タクシー・ドライバー」、ウッディ・アレン監督「アニー・ホール」、マイケル・チミノ監督「ディア・ハンター」、アラン・パーカー監督「ミッドナイト・エクスプレス」、ジョン・ランディス監督「アニマル・ハウス」、山田洋次監督「幸せの黄色いハンカチ」等現在でも相変わらず人気を保っている素晴らしい作品に熱狂しました。
そんな中、札幌に時々、有名映画監督が映画館の舞台挨拶に来られる機会もありました。お気に入りの監督が来札される際、楽しみに出掛けて行った事がありました。「その後の仁義なき戦い」「十三人の刺客」などの映画やテレビでも大昔の「剣」シリーズ(切れ味抜群の刀の話)、「必殺」シリーズ(藤田まことの中村主水)、「傷だらけの天使」(萩原健一・水谷豊出演)など光と影の独自な映像美を追求された工藤栄一監督の作品を何本かをまとめて一晩だけ、オールナイトで上映されました。当夜開演前に監督の舞台挨拶がありました。(客の半分は熱烈な映画ファンなのですが、どうやら残りの半分は映画館に寝に来てるような人もいたような時代でした!)
そして、映画を見終わった翌日の明け方、眠い目を擦りながら狸小路付近の地下街を歩いていると、朝早い時間帯にも関わらず、何と昨晩舞台に立たれ、あいさつされた監督がサングラスを掛けて前から、てくてく歩いて来るではありませんか!思わず近寄り『監督!昨晩オールナイトの上映会観に行きましたよぉ』とあいさつすると、少し驚いた様子でしたが、『観に来てくれたんですか?有難う』とあいさつを返してくれました。この日は、わたしが「映画監督」と初めて声を交わした記念すべき日となりました。工藤監督は、もしかしたら、オールナイトでどこかのバーで飲み明かし、歩いてホテルに戻る途中だったのかもしれません。
もうひとり、遭遇しそうなチャンスがあったのは黒沢明監督でした。「影武者」の合戦シーンの撮影が苫小牧の「苫東原野」と呼ばれる広大な空き地を使用し撮影されました。(実際の映画の中では、武田軍と織田・徳川軍の激突する大合戦シーンの映像はなかったのですが、小規模な合戦シーンは実際苫小牧で撮影されていました)エキストラの募集があったので、学業をほったらかし「貴重な体験」と思い、迷わず応募しました。武田軍・風林火山の「林」の部隊の足軽役で織田軍に長槍を持って数十人一塊りで突撃する役でした。鎧・鉄兜から脚絆・足袋などを身に着け、顔面に兵らしくメイキャップを受けて撮影に臨みました。山崎務、室田日出夫、萩原健一などの見覚えのある有名俳優陣が武将姿で目の前を通り過ぎていくのを見て感激しました。
しかし、黒沢監督がどこにいるのか分かる状況ではありませんでした。槍の構え方の指導を受け、何度か突撃シーンのリハーサルを繰り返し、助監督からは「武者のみなさん!絶対に歯を出して笑わないでください」とのみ注意を受けました。本番のシーンでは、本物の戦闘シーンの様に『ウワォー』と雄叫びを上げ、敵陣目掛けて全速力で走って行きました。躓いて転ぶ人もいれば、前を走る兵の後ろ姿を見ると、脚絆を結ぶ裏側の紐が完全に緩み、ふくらはぎ側のジーパンが丸見えで様にならない兵士などが見え、思わず笑いそうになりました。そこをじっと我慢して歯を見せない様に走り続けました。エキストラ軍団の中には、本職の役者も何名か混じっており、アルバイトのエキストラとは違い、大声で真剣にどすの効いた雄叫びを上げていました。ワンカット終了後、助監督からスピーカーで「武者のみなさん!いまのシーン、黒沢監督は大変良いシーンが取れたと喜んでいました!」と説明され一発でOKとなりました。
完璧主義者で大変なこだわりがあり、厳しい監督と聞いていましたが、意外とあっさりOKが出て多少拍子抜けしました。しかしながら、たとえエキストラ出演とは言え、黒沢明監督に「喜んでもらった」という記憶は以後ずっと残ることになりました。
しばらく経ち映画「影武者」が愈々公開されたので、期待して映画館に観に行きました。自分の出演場面を確認しよう食い入るようにその場面を観ましたが、出演シーンはあっという間に過ぎてしまい、残念ながらほとんどどこに写っていたか分かりませんでした。一方、同じ撮影現場で獲ったサントリー・ウイスキーのTVコマーシャル用に使われたシーンでは、どの辺にいるというのはだいたいの検討はついたのですが、、、
その後、社会人になってからは映画を見る時間的余裕も無くなったこと、暇があれば山に出掛けていたこともあり、映画と暫く疎遠になってしまったのが大変残念でした。
それでも、入社4年目に語学研修で1年間過ごした台湾では、勉強の一環として台湾映画・香港映画を良く観るようになり映画熱が復活しました。最近の映画『花様年華』で有名な香港の女優張曼玉(マギー・チャン)と1980年代(彼女は20代)に台北の繁華街中華路で擦れ違いざまに目と目があった様な気がしました。二人の距離がちょっと遠かったので札幌狸小路の工藤栄一監督の様に声を掛ける事が出来なかったことが、今では少し悔やまれます。
コメント