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歴史小説『天下大乱』伊東潤著 (朝日新聞出版)‣感想 関ケ原の合戦に至るまでの生々しい情報戦など赤裸々な人間ドラマの展開を見事に描出

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『天下大乱』の概要

”圧巻のリアリティ、壮絶な人間ドラマ。天下分け目の”関ケ原”の舞台裏に迫った大胆不敵な物語”(本書(本書カバー帯の紹介文)

秀吉没後から関ケ原の合戦直後までを徳川家康と毛利輝元の視点を中心として、同時代を生きた戦国武将、秀頼、淀君らを描く歴史ドラマとなっています。従来徳川家康と対峙するのは石田三成として描かれる事が多かったのですが、本作では西軍総大将は”毛利輝元”として描かれます。

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『天下大乱』の感想

以前はそれ程多くの歴史小説を読んでいませんでした。勿論、読まれた方も非常に多い「司馬遼太郎」などは一通り学生時代読みました。しかし、それ以降は余り興味もなく、またNHKの大河ドラマも見たり見なかったの状態でした。ところが、たまたま本書「天下大乱」をある書評で見掛けた為、早速書店で購入、読み始めたらあっという間に話の展開に引き込まれていました(500ページ超の大作)

戦国時代は「戦力」が上回るものが、弱者を次々に倒していくものと単純に考えていました。ところが実際は、武力ばかりでは無く「知力」「遠謀術策」が上回るものが勝ち残っていくことがよく分かりました。現在の様な電話、メールの様な便利な「通信手段」はありませんが、「書状」「伝令」=「手紙」が日本全国を駆け巡り、日本全体で何が起こっているか戦国武将は1-2日遅れで分かっていたという事実に驚きました。

「関ケ原」については東西陣営の各武将の考えは如何に勝ち馬に乗るか、如何に自分の知行地を確保し、増やす事が出来るかに全神経を使っていたことに改めて驚きました。福島正則のように、秀吉の御恩に報いる為豊臣家の為という一途な武将も中にはいましたが、これは少数派だったようです。

また、「関ケ原」の合戦場に参陣してもまだ、合戦の勝ち負けがどう転ぶか不分明な内は高みの見物、状況を判断して勝っている方に加勢していくという日和見的な態度、正に土壇場で勝ち馬に乗る高等戦術に出た武将がいた事にも驚かされました。

秀頼軍が毛利輝元と共にもう少し早く大阪城から出陣し、関ケ原の戦場に開戦前に到着していれば福島正則は西軍を攻撃できず、勝敗の行方はまた変わったものになっていたかもしれません。

秀吉亡き後、秀吉の意向により五大老五奉行の合議制が採られます。それには初めから無理があった様です。家康は老獪に勢力の大きい加賀前田、会津上杉などはあれこれ口実を考えて勢力を削ぐ・潰す工作に余念がありません。他大名も戦々恐々としますが、家康の威光にひれ伏す大名、真向から家康憎しと反旗を翻す大名、更には様子を見乍ら「領地」確保の保身のみを考える大名らに別れて行きます。

家康は関ケ原に勝利した直後、既に「大乱」後の国内安定と「徳川」の安泰の為の施策造りに邁進することになります。

戦国大名が「大義名分」と「私利私欲」のバランスの上に活路を見出そうと必死にもがいていた様子、また、世間の評判なども大いに気にしていたようなところなども微細に描かれていたので、大変興味深く読むことが出来ました。

『天下大乱』の世間一般的な意見はどんなものがあるのか?

読書メーターなどから一般公開されている読後感想を抜粋させて頂きました。総じて、好意的な意見が多い様でした。

秀吉の死から関ヶ原に至るまでを、「正史」を忠実にトレースしながら、その裏で交わされていただろう家康と本多昌信や、毛利輝元と安国寺恵瓊などの会話を通じてストーリーが進んでいく…
解説的な文章も多いため、戦国ものを読み始めたばかりの人には入門編としては、親切な内容と言えるのかもしれない。そもそもの物語自体は骨太だから、もちろん読み応えはある…

秀吉があの世へ去ってから、関ヶ原の合戦まで。この世の支配権を争う権謀術数。徳川家康と毛利輝元の視点から、この天下分け目の戦いを詳細に描いていきます。登場する武将の数がメッチャ多い。読み応えタップリの集大成感。そこに各人の個性や人間味が織り込まれ、すごく面白い・・・

最後に

わたしは、名古屋に2年間転勤で暮した事があります。趣味の山登りの為日本百名山の『伊吹山』に足繁く通いました。標高1377㍍。新幹線の車窓から、雪の難所で有名な「関ケ原」を越えた当たりからかなり近く見える山です。何故この山に惹きつけられたかというと「高山植物」の豊富さです。一説では1000種類以上の高山植物が観察されるそうです。週替わりでどんどん違う花々が咲いて行く山はそれ程多くありません。JR東海道線の最寄り駅の「近江長岡」からバスで伊吹山登山口まで行きます。名古屋から来ると「近江長岡」の二つ手前が「関ケ原」駅です。「関ケ原」に停車するとそろそろ下車準備を始める事になります。伊吹山登山の帰り道、「関ケ原」で下車して「古戦場」見物でも行こうかと何度も思いましたが、とうとう行かず仕舞でした。ちょっと残念な気がしています。訪ねても現在では立て看板が立っている程度だとは思いますが…『兵どもの夢の跡・・・』なんでしょう。もし、あの当時本書『天下大乱』を読んでいれば、間違いなく「関ケ原」で下車して一日ゆっくり見学に行ったかもしれません…ふとそんな事を考えさせられました。

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