広州から広西へ。飛行機が着陸態勢に入ると同時に、窓の下に不思議な光景が広がり始めました。
ぽっこりぽっこりと地面から突き出たような、形の違う山、また山。丸い山、尖った山、横に寝たような山。一つとして同じ形がない。
そしてその山と山の間を縫うように、細かく区切られた田んぼと農村が続く。確かに絵に描いた様というのは正しい表現だが、絵よりももっと不規則で、もっと生々しい。誰かが粘土を指でつまんで、適当に置いていったような山並みだった。岩と緑の調和、幻想的で現実感がまったく無い夢の世界が展開されていました。
東洋一と言われる桂林の風景。言葉では言い尽くされているが、実際に上空から見ると、美しいというよりは「摩訶不思議!」というのが第一印象でした。
しかし、その絶景の裏で、私は当時担当していた設備機械の代金回収で、何度もこの地を訪れていた。
億に近い設備が、日本の港で一日一日錆びていく…
当時勤めていた商社で担当していた、産業用の大型生産設備。とっくに製造は完了していました。しかし、1年以上も船積み待ちのまま、日本の港に置かれていました。
早くしないと、錆び付いてスクラップになってしまう。製造を担当したメーカーから、我々商社に、一刻も早い引き取りの催促が連日来ていました。
駐在員は一人で、本社の機械関連あらゆる部門の仕事を掛け持ちします。あくまで主幹は東京本店の営業部門ですが、現地の火消しは全部駐在員に回ってくる。広州から空路で400km、飛行機で何度も広西の取引先へ足繫く通うことになりました。東京からの出張者に何度か同行もしました。
客先の言い訳は、当時中国ビジネスで日常茶飯事の常套句「三角債」です。
設備はまだ日本の港にある。支払いを督促すると、返ってくるのは当時、中国では日常茶飯事だった三角債の説明、「入金する予定だった他客からの支払いが遅れていて、そちらに回す金が無い。入金するまで待ってほしい」
悪びれる様子もなく、時間稼ぎをされます。期限は一応切るものの、約束は守られない、この繰り返し。90年代の中国では、どこへ行ってもこの話でした。
私の駐在期間中は未解決のまま
結局、この設備の件は、私の駐在期間中の3年間は未解決のままとなりました。後任に引き継いで、私は広州を離れました。
それが駐在員の現実でもあります。自分で始めた仕事でも、最後まで見届けられないことがあります。
漓江で泳いだ日 – 子供は船から、大人は夕方から
そんな業務の合間に訪れたのが、ひと時のやすらを求めて、ホテルの目の前にある漓江のほとりでした。
上空から見たあの不思議な山々が、今度は川の両側から迫ってくる。山の形が川面に映り、船が進むたびに景色が変わる。筆で描かれた山水画より、もっと立体的で、もっと湿気を含んだ、生きた風景でした。漓江下りも一度経験しましたが、あの風景の中を近代的なエンジン動力付き船での川下りというのもちょっと拍子抜け、船上での食事の提供も場違いに思われました。やはり、手漕ぎのイカダに乗って流れに任せ無言で下る”静かさ”こそ、桂林らしさを際立たせる気がするのですが…
顧客との交渉を終え、ホテルに戻りました。水着に着替え、ホテルの前に流れる川べりから恐る恐る川に入ってみました。真昼間は、漓江の周辺に住む農村の子供たちだけが、川に飛び込んで水遊びに興じてでいました。大人は泳がないものだと考えていました。
ところが、夕方近くになると、近隣の大人もぞろぞろと川遊びに出てきてびっくり仰天しました。仕事を終えた農民たちが、次々と川に入ってくるではありませんか。やはり思いは同じ、暑くて堪らんから日は、川で行が大正解!
私も流れに足を取られながら,ひざが潜るまで川の奥まで入りました。ところが川の奥は恐ろしい流れの勢いでした。見た目は穏やかな漓江ですが、一歩入ると足元をすくわれ、流されそうになります。深みに入って泳ぎ始めれば流されてしまうこと確実…あの不思議な山々に囲まれた穏やかな風景の下に、こんな激しい流れが隠れているとはと驚愕、漓江下りの途中川の中で陽気に泳ぐ子供たちに危険は無いの少し心配になりました。
億の設備が錆びていく焦りと、上空から見た不思議な山々、夕方の川遊び。広州駐在時代の桂林は、ビジネスと絶景と生活が、複雑に交じり合った、忘れられない場所になりました。



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