>

初めての中国東北部 哈爾濱(ハルピン)旅行 寒過ぎた旅の思い出

スポンサーリンク
旅の随筆
スポンサーリンク
mantflyによるPixabayからの画像

1987年11月私は北京から午後発哈爾濱(ハルピン)行の夜行寝台列車に乗り込み、翌朝ハルピン駅に降り立ちました。北京でハルピン現地の正確な気温情報を入手していなかったのが大失敗でした。

 

もし、テレビ、新聞(人民日報)の情報を調べて置けば、こんな悲惨な思いをすることもなく、もう少し用意周到な寒冷地対策をして旅立ったと思います。或いは東北地方の旅行を今回は断念し、訪ずれる時期を変更していたと思います。

 

朝、列車を降りるなり、今までまったく経験をした事がない極低温マイナス28℃の世界にいきなり放り出されました。わたしは学生時代の4年間を札幌で過ごしました。札幌で経験した最低温は零下10度前後だったと思います。多少は寒さに強いと自負していましたが、この自信はまったく役に立ちませんでした。

 

札幌では冬の夜、銭湯帰り家までの数分で、髪の毛がバリバリに凍りつく程度の寒さでした。
この日零下28℃の中、哈爾濱駅構内のホームの地下道を潜って改札口に向かいましたが、地下通路の気温はおそらく零下28℃を更に下回る冷え込みであったと感じられました。

 

股引きなどは履かず、たった一枚のズボンしか穿いていなかった為、太腿の筋肉が寒さで痙攣し、歩行困難に陥りそうになりました。帽子も被っていなかったので脳味噌が凍結し、耳朶が千切れそうに痛み、耳が凍って取れてしまいそうな気がしました。目には自然と涙が溢れ出て来て、それが凍結しまい目を開けるのに苦労しました。鼻毛も凍りつき、だんだん息をするのが苦しくなってきました。

 

駅を出ると、どうにも我慢出来ず、早速目の前のデパート(百貨公司)に飛び込み、股引(ももひき)、厚手の手袋・防寒服、耳当の付いた防寒帽を購入しました。デパートの出入り口には寒気が入らない様に、分厚く重い敷布団状のカーテンがぶら下げられていました。

 

駅から宿泊予定の華僑飯店(ホテル)まではタクシーで行ったのか、バスで行ったのが、或いは徒歩で行ったかの全く覚えていません。どうにかこうにか辿り着いたホテルの名前「華僑飯店」だけはしっかり憶えています。

 

フロントでチェックインを済ませ、暖かいぬくもりをもとめて部屋のドアを開けたところ、部屋の中には、既に他の客がベッドに寝ていました。

 

慌ててドアを閉め、部屋を間違えたと思いフロントに言いに戻りました。フロントの担当者に部屋の鍵の確認をお願いしました。しかし、彼がカギを渡し間違えたのではないことが判りました。

 

「既に誰か寝ている。間違って開けてしまった」と言うと、フロント係は「お前の部屋の鍵に間違いない。彼も外国人(香港人)なので、外国人同士同室で良かろう!」と理不尽な事を言われました。全く予想していなかった回答でしたが、中国だからしょうがないと直ぐ諦め、もう一度見知らぬ香港人(中国では外国人扱いされていました)が寝ている先程の部屋に戻り、彼にフロントで説明された事情を話して一晩、見も知らぬ香港人と相部屋で寝る羽目になりました。

 

他人と相部屋する事は大した問題ではありません。大問題は、この日、この部屋及びホテル全館の暖房装置が故障していて、暖房もなければ、シャワーのお湯も出ないという、とんでもない劣悪状態のホテルでした。

 

あまりにも寒く、わたしの頭は完全に思考停止状態だったのか、ホテルを移るという発想を思いつかず、結局部屋内にあるすべてのふとん、毛布を取り出して積み上げて掛け、更に、そのふとんの中に香港人と同じくコート、セーターを着たまま潜り込み、ようやく暖を摂ることが出来ました。

 

会話もベッドのふとんの中からお互い首だけ出して話をしました。かれは香港から来ている貿易商で、金儲けの為ならどんなところにもやって来ると言っていました。この晩は何とか凍死だけは免れました。

 

そんな悲惨な一晩を過ごした翌朝、思いを新たに飛び起きました。幸いな事に天気は良かったですが、相変わらず強烈な大陸寒気団の影響で零下28℃のままでした。空気中の水分が凍結する「ダイヤモンドダスト」という氷の結晶が、陽の光に輝いている珍しいものを見る事が出来ました。キラキラと輝き美しいのですが、寒いことに変わりなく、何の慰めにもなりません。

 

空気が乾燥している為、無性に喉が渇きます。路上の店で売られているアイスキャンディーは冷凍庫内ではなくテーブルの上に並べられて売っています。これが無性に食べたくなります。零下28℃では、喉が渇く為、冷たいアイスが食べたくなるものです。地元の大人も子供も良くアイスキャンディーを食べながら歩いていました。

 

哈爾浜市内の松花江という川は凍結しており、川の中に浮かぶ洲、太陽島まで歩いて渡る事が出来ました。つるつるの氷の上を自転車を器用に漕いで渡って来る人に出会いました。暫くしてガチャンという物音に驚き振り返ると、自転車がものの見事に転倒していました。やはり地元の人で、氷の上の自転車乗りに慣れていても、うっかりすると転倒する様です。非常に危険なので氷上での自転車漕ぎはやめた方が良いと思います。

 

その日、哈爾浜の寒さにはもう我慢できなかったので、400㌔南にある吉林省長春を目指し列車で脱出することにしました。

 

東北部原野の風景は走っても走っても全く変化がありません。列車は8時間南下を続け漸く、長春に到着しました。400㌔南下したにもかかわらず、そこも同じく零下28℃と哈爾浜と全く変わらない気温でした。

しかし、長春の湖畔のホテルにはきちんと暖房があり、ようやく生き返り一息つきました。

その晩は朝鮮族の経営する焼肉屋で本場「羊肉しゃぶしゃぶ」を食べて元気を取り戻しました。吉林省の米は北京で食べている、ぼそぼその中国米と異なり、ねっとりした日本米に近い触感がありました。久々に美味い米も食べ、更に元気を取り戻しました。

 

翌日は少しでも暖かそうな遼寧省瀋陽、大連を目指して南下をしました。東北地方一帯がすっぽり覆われる大型の寒気団の急襲を受けた為、結局予想に反して南方に何百㌔下ってもほとんど気温は上昇する事はありませんでした。

 

教訓としては、旅行に出る前にはしっかり現地情報を入手し、防寒・雨具・着替えなどの万全の備えを怠りなくしないと快適な旅行は絶対に望めないという事です。

 

その後、哈爾濱とは仕事上でも相当深い縁が出来、M自動車のエンジンプロジェクト関連で頻繁に

訪れる様になったのは暫く後の事でした。

 

甘粛省敦煌 月牙泉のほとりのうたた寝 旅の思い出

 

新疆ウイグル自治区 オアシス都市の子供たちの笑顔 旅の思い出 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました